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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4768号】荒野の声

2013年3月9日

教区、教会総会に向けて伝道報告、伝道計画について話し合い、準備が始まっていることであろう。仕える教会では、教会の新年度準備と合わせ幼稚園の準備が始まっている。先日も新入園児の保護者会を行なった▼幼稚園の保護者会でも開会に礼拝を献げることを常としている。既に在園している子供たちの保護者は、今年度行われてきた保護者会の開会にて礼拝を経験してきている。だが、新入園の子供たちの保護者の中には、礼拝ははじめての経験で、皆が祈りに「アーメン」と声を合わせるのにもどぎまぎしてしまうという親もいる。今年もそう言った保護者がいたのかもしれない▼けれども、今年の保護者会では賛美の声がよく聞こえた。牧師、園長が一人、賛美の声を上げている、ということも珍しくない状況なのだが、今年は保護者たちの賛美の声がよく聞こえた。馴染み深い讃美歌だったこともあるかもしれない。また既に在園、卒園した弟妹さんの親も多かったこともあるかもしれないが。いずれにしても普段あまり礼拝に親しんでいない人々が賛美の声を高らかに上げることはうれしいことだ▼教会の裾野が、まだ見えないにしても、しかし、もっと広く、遠く、もっと深くにまで広がっていることを信じて、そこにこそ福音を運んでゆきたい。

木下宣世

(聖書〉
詩編46編2〜8節
神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。
わたしたちは決して恐れない
地が姿を変え
山々が揺らいで海の中に移るとも
海の水が騒ぎ、沸き返り
その高ぶるさまに山々が震えるとも。

大河とその流れは、神の都に喜びを与える
いと高き神のいます聖所に。
神はその中にいまし、都は揺らぐことがない。
夜明けとともに、神は助けをお与えになる。
すべての民は騒ぎ、国々は揺らぐ。
神が御声を出されると、地は溶け去る。

万軍の主はわたしたちと共にいます。
ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。

戦  慄

2011年3月11日午後2時46分、私は東京教区の三役教務打合わせ会に出席するために、教団ビル5階にエレベーターから降り立ったところでありました。突然、強い揺れを感じて立っていることができず壁に手を当てて揺れの収まるのを待つことしかできませんでした。どこかで鉄の扉が勢いよく閉まるような音が響きました。
しばらくして少し揺れが静まり、私は教区事務所のドアを開けて中に入りました。議長、書記そして事務所の主事や職員たちが緊張した面持ちで立っており、床には書類が散らばっていました。
「外に出よう」との議長の掛け声で私たちは階段を駆けおりて外に出ました。
早稲田奉仕園の中庭には既に多くの人々が集まっていました。その後も二・三回強い揺れが来たと思います。どれ位の時間が経ったでしょうか。ようやく揺れが収まったようなので皆で部屋に戻りました。
すると、お向かいの年金局の部屋から私たちを呼ぶ声が聞こえました。行ってみると小さなテレビの画面に異様な光景が映っていました。
大水が大地をなめるようにして次々と田畑、道路、建物などを飲み込んでいくのです。すぐに今の地震による津波だとわかりました。戦慄が体中を走り抜けました。
これは現実だろうか、このようなことがあってよいのだろうか、強い衝撃とともにそのような思いが脳裡をかすめました。
これがあの時の私の体験です。

激  励

2011年4月4日、当時世界宣教委員長であった私は、甲東教会で行われる浅田容子先生の宣教師派遣式を行うため関西に向かう新幹線の車中におりました。
手にしていたのはそれより10日程前に教団世界宣教部職員から送られてきた震災に対する海外諸教会からの祈りや励ましのメッセージ集でした。
これを開いて読み始めた私は非常に驚き、読み進めていく内に感動し、胸が熱くなりました。世界の各地から寄せられた50通程のメールです。その日の内に届いているものも沢山あります。こんなにも多くの国々の教会から暖い励ましや心からの慰めの言葉が早々に送られてきたのです。
その中でも特に私の目にとまったのは韓国基督教長老会のベ・テジン総幹事からの文章でした。同総幹事は冒頭に掲げた詩編46編の御言葉を引用して励ましてくださったのです。
私は早速聖書を開いてこの箇所を読みました。
「海の水が騒ぎ、沸き返りその高ぶるさまに山々が震える」。何とあの日の津波の様を活写していることかと感じさせられました。
しかし神は「必ずそこにいまして助けてくださる。わたしたちは決して恐れない」。私は励まされました。また、自分の信仰を問われる思いが致しました。

連  帯

2012年2月20日、私は他の委員の方々と共に台湾基督長老教会との協議会のために台湾に向け飛び立ちました。
この協議会は2年に一度、両国で交互に開かれるものですが、今回は東日本大震災の救援に取り組んでいる日本基督教団と2009年8月に起こった大洪水からの復興に尽力した台湾基督長老教会とが互いの経験を分かちあい、祈り励ましあうという趣旨で行われたものでした。
台湾基督長老教会の積極的で力強い取り組みに感心し、大いに学ばされました。
しかし、その台湾基督長老教会が自国の災害復興のために全力を傾注しつつ、さら東日本大震災のために日本円にして8千万円もの献金を送ってくださったことを聞き、心を揺さぶられる思いがしました。日本の教会がかつてこれ程までに海外の教会に対して力を尽くしたことがあったでしょうか。
その後、昨年の夏には台湾から百名ものボランティアを派遣してくださったと伺っては、唯驚嘆するのみ、との思いです。
私たちの教団はこれ程までに諸外国の教会から祈られ、支えられているのです。このことを忘れてはならないと思います。

呼  応

このような海外からの祈りや支援は私たちにとって大きなうながしではないでしょうか。彼らが被災地の人々や教会をおぼえてこれ程までに心を用いてくださっているとしたら、まして国内の私たちは彼らの祈りに触発されて、一層祈りと支援に励まなければならないと思います。
教団は10億円を目標に救援募金を行っています。この具体的な目標を達成するために皆で力を合わせたいものです。
東京教区は2011年5月に行われた教区総会で教区として5億円を目標に募金に励むことを決議しました。そのために教区の募金委員会を組織しました。現在、委員長のもと各支区に属する諸委員会が熱心かつ綿密な募金活動に取組んでいます。
私共の教会もこれに呼応して5年間で1千万円の目標を立てました。もちろんこれで十分とは思いませんが、ともかく教団全体の目標を達成するために協力を惜しんではならないと考えたからです。
海外諸教会からの連帯の祈りに動かされ、自分たちも全力を尽くして支援に励まねばと思う次第です。
(東京教区総会議長、西千葉教会牧師)

7:11 ところで、もし、レビの系統の祭司制度によって、人が完全な状態に達することができたとすれば、――というのは、民はその祭司制度に基づいて律法を与えられているのですから――いったいどうして、アロンと同じような祭司ではなく、メルキゼデクと同じような別の祭司が立てられる必要があるでしょう。
7:12 祭司制度に変更があれば、律法にも必ず変更があるはずです。
7:13 このように言われている方は、だれも祭壇の奉仕に携わったことのない他の部族に属しておられます。
7:14 というのは、わたしたちの主がユダ族出身であることは明らかですが、この部族についてはモーセは、祭司に関することを何一つ述べていないからです。
7:15 このことは、メルキゼデクと同じような別の祭司が立てられたことによって、ますます明らかです。
7:16 この祭司は、肉の掟の律法によらず、朽ちることのない命の力によって立てられたのです。
7:17 なぜなら、/「あなたこそ永遠に、/メルキゼデクと同じような祭司である」と証しされているからです。
7:18 その結果、一方では、以前の掟が、その弱く無益なために廃止されました。――
7:19 律法が何一つ完全なものにしなかったからです――しかし、他方では、もっと優れた希望がもたらされました。わたしたちは、この希望によって神に近づくのです。
7:20 また、これは誓いによらないで行われたのではありません。レビの系統の祭司たちは、誓いによらないで祭司になっているのですが、
7:21 この方は、誓いによって祭司となられたのです。神はこの方に対してこう言われました。「主はこう誓われ、/その御心を変えられることはない。『あなたこそ、永遠に祭司である。』」
7:22 このようにして、イエスはいっそう優れた契約の保証となられたのです。
7:23 また、レビの系統の祭司たちの場合には、死というものがあるので、務めをいつまでも続けることができず、多くの人たちが祭司に任命されました。
7:24 しかし、イエスは永遠に生きているので、変わることのない祭司職を持っておられるのです。
7:25 それでまた、この方は常に生きていて、人々のために執り成しておられるので、御自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります。
7:26 このように聖であり、罪なく、汚れなく、罪人から離され、もろもろの天よりも高くされている大祭司こそ、わたしたちにとって必要な方なのです。
7:27 この方は、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために毎日いけにえを献げる必要はありません。というのは、このいけにえはただ一度、御自身を献げることによって、成し遂げられたからです。
7:28 律法は弱さを持った人間を大祭司に任命しますが、律法の後になされた誓いの御言葉は、永遠に完全な者とされておられる御子を大祭司としたのです。

2013年3月8日

7:1 このメルキゼデクはサレムの王であり、いと高き神の祭司でしたが、王たちを滅ぼして戻って来たアブラハムを出迎え、そして祝福しました。
7:2 アブラハムは、メルキゼデクにすべてのものの十分の一を分け与えました。メルキゼデクという名の意味は、まず「義の王」、次に「サレムの王」、つまり「平和の王」です。
7:3 彼には父もなく、母もなく、系図もなく、また、生涯の初めもなく、命の終わりもなく、神の子に似た者であって、永遠に祭司です。
7:4 この人がどんなに偉大であったかを考えてみなさい。族長であるアブラハムさえ、最上の戦利品の中から十分の一を献げたのです。
7:5 ところで、レビの子らの中で祭司の職を受ける者は、同じアブラハムの子孫であるにもかかわらず、彼らの兄弟である民から十分の一を取るように、律法によって命じられています。
7:6 それなのに、レビ族の血統以外の者が、アブラハムから十分の一を受け取って、約束を受けている者を祝福したのです。
7:7 さて、下の者が上の者から祝福を受けるのは、当然なことです。
7:8 更に、一方では、死ぬはずの人間が十分の一を受けているのですが、他方では、生きている者と証しされている者が、それを受けているのです。
7:9 そこで、言ってみれば、十分の一を受けるはずのレビですら、アブラハムを通して十分の一を納めたことになります。
7:10 なぜなら、メルキゼデクがアブラハムを出迎えたとき、レビはまだこの父の腰の中にいたからです。

2013年3月7日

6:9 しかし、愛する人たち、こんなふうに話してはいても、わたしたちはあなたがたについて、もっと良いこと、救いにかかわることがあると確信しています。
6:10 神は不義な方ではないので、あなたがたの働きや、あなたがたが聖なる者たちに以前も今も仕えることによって、神の名のために示したあの愛をお忘れになるようなことはありません。
6:11 わたしたちは、あなたがたおのおのが最後まで希望を持ち続けるために、同じ熱心さを示してもらいたいと思います。
6:12 あなたがたが怠け者とならず、信仰と忍耐とによって、約束されたものを受け継ぐ人たちを見倣う者となってほしいのです。
6:13 神は、アブラハムに約束をする際に、御自身より偉大な者にかけて誓えなかったので、御自身にかけて誓い、
6:14 「わたしは必ずあなたを祝福し、あなたの子孫を大いに増やす」と言われました。
6:15 こうして、アブラハムは根気よく待って、約束のものを得たのです。
6:16 そもそも人間は、自分より偉大な者にかけて誓うのであって、その誓いはあらゆる反対論にけりをつける保証となります。
6:17 神は約束されたものを受け継ぐ人々に、御自分の計画が変わらないものであることを、いっそうはっきり示したいと考え、それを誓いによって保証なさったのです。
6:18 それは、目指す希望を持ち続けようとして世を逃れて来たわたしたちが、二つの不変の事柄によって力強く励まされるためです。この事柄に関して、神が偽ることはありえません。
6:19 わたしたちが持っているこの希望は、魂にとって頼りになる、安定した錨のようなものであり、また、至聖所の垂れ幕の内側に入って行くものなのです。
6:20 イエスは、わたしたちのために先駆者としてそこへ入って行き、永遠にメルキゼデクと同じような大祭司となられたのです。

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