森トミ子氏(隠退教師)
12年12年11日逝去、93歳。山口県に生まれる。’73年日本聖書神学校を卒業。同年名瀬教会に赴任、’85年より00年まで徳之島伝道所を牧会し、隠退した。遺族は息・森孝さん。
荒井俊次氏(隠退教師)
13年1月16日逝去、80歳。東京都に生まれる。’58年タフツ大学大学院神学部、’60年ハートフォード大学大学院神学部を修了。アジアキリスト教協議会(CCA・シンガポール、香港)、日本クリスチャンアカデミー、世界教会協議会(WCC・スイス)を経て、再び日本クリスチャンアカデミーに02年まで勤め、隠退した。遺族は妻・荒井明子さん。
祈りと寄り添い
日本基督教団東北教区被災者支援センター・エマオでは、震災直後の2011年3月15日から今日まで働きを繋いで来ています。それはただ単に支援活動を繋いで来たのではありません。何よりも「祈り」、そして「寄り添う働き」を繋いできました。
この「寄り添う働き」を私たちは「スローワーク」という言葉で表現しています。ゆっくり時間をかけて、丁寧に被災された方たちに寄り添っていく働きです。例えば、お宅の方から望まれれば、目の前の作業を中断してでも一緒にお茶をしています。お話に耳を傾け、また求められればこちらからもお話をすることを通して、少しずつ出会いが生まれていきます。「目に見える成果」ももちろん大切ですが、それよりも「目には見えないもの」を私たちは大切にしています。
エマオが信頼関係を築いてきた結果、はじめて参加したワーカーに対しても、お宅の方たちは心を開き、受け入れて下さっています。私たちは「希望」を届けに行く働きをしていると思いますが、むしろ「希望」を与えられて被災地からエマオに帰って来ることも多いのです。
このように、何よりもワーカーに深い「出会い」が与えられていることが、エマオの特徴ではないでしょうか。
海外からのボランティア
海外から来て下さった、多くのワーカーにとっても同様です。海外から来ているからと言って、ワーク内容を変えることはしていません。他の国内ボランティアと同様に、被災されたお宅に行き、ワークをし、出会い、そして帰って来るのです。
何人もの海外ボランティアが、出会いを振り返って、最後の挨拶の時に涙を流しました。
私たちはとても不思議に感じています。「なぜ海外からわざわざ仙台や石巻まで来て下さるのか?」と。私たちだけではありません。ワークに入っている被災された方たちも、わざわざ海外から来てくれたワーカーに対して、驚きと感謝の思いを抱かれています。言葉が通じなくても、いやむしろ通じないからこそ、その姿から伝わるものがあります。それは、「目には見えないもの」=「祈り・愛・希望」です。今までに、沢山来て下さった海外ワーカーから学んだことです。
台湾基督長老教会(PCT)の働き
2012年夏には、台湾基督長老教会(PCT)が、97名ものボランティアを2ヶ月にわたって送って下さいました。
その人数にも、熱意にも圧倒されました。
なかなか人手が足りずに進んでいなかった、広い田畑からの細い瓦礫除去作業もとてもはかどりました。農家出身の台湾ボランティアは農作業において大活躍でした。日本の農家では高齢化のために、農業が出来る青年はとても少ないのが現状です。そんな中で、台湾から来た彼らの働きは抜きん出ていました。また最後のチームでは、大工の方たちが10名来て下さり、まだまだ家の補修作業が必要なお宅に行ってワークをして下さいました。
私たちが普段することが出来ないワークを担って下さり、被災された方たちもとても喜ばれていました。
もちろん、97名ものボランティアを受け入れることは大変でした。言葉が通じないことから来る、ハプニングも沢山ありました。しかし、それにもまさる大きな恵みだったことも間違いありません。
震災から2年
震災から2年を迎えるいま、被災地の現実はむしろ厳しさを増しています。
仮設に住む30万人以上の方たちすべてが「自分の家」に帰ることが出来るまでには、気が遠くなるほどの時間が必要です。津波で深刻な被害を受けた田畑が、そして〈いのち〉が回復するのにはさらに多くの「時間」と「寄り添い」が必要です。
エマオを取り巻く環境も決して甘くはありません。日本社会がどんどんと被災地を忘れていっている中で、私たちが出来る最善の業が求められています。被災者支援も緊急支援から中長期支援へと移り、エマオのワーク内容も少しずつ変えていくことが求められています。スタッフが疲労を溜め、時に裁き合ってしまう中で、時間をかけて関係性を造り上げていくことが求められています。
しかし、被災されている方たちの心からの笑顔や、津波で家を流された子どもたちが元気に遊び回っている姿を見る時、復活の主イエスが被災された方たちと共にいて下さっていることに気付かされます。厳しい現実だからこそ、私たちキリスト者は、神さまの愛に押し出されて、これからも「祈り」と「寄り添い」を繋げていきたいと願います。
どうぞこれからも、祈りに覚え続けていただければと切に願います。
(佐藤真史報/教団東北教区被災者支援センター・エマオ派遣専従者)
第38総会期第1回常議員会の議決を受け、1月29日、教団会議室において委員6名中5名の出席を得て、東日本国際会議第1回実行委員会が開催された。
招集者である岡本知之委員により、入念に準備された資料に基づき国際会議への理解を深めた後に組織に入った。
国際会議全体を統括する実行委員会の委員長には伊藤瑞男教団副議長を、副委員長には岡本委員を選任した。実行委員会の下に会議準備のために以下の5つの会議準備委員会を設けた。財務・募金委員会の委員長に北紀吉委員、事務局担当者に計良祐時幹事。広報・登録委員会の委員長に秋山徹委員、事務局担当者に加藤誠幹事。プログラム・会場委員会の委員長に藤掛順一委員、副委員長に高橋和人委員、事務局担当者に飯島信幹事。宿泊旅行・行事接遇委員会の委員長に長崎哲夫総幹事。展示・総務委員会の委員長に岡本副委員長をそれぞれ選任した。会場を提供してもらう東北学院大学との連絡は、同大学理事である高橋委員が担当することとなった。
組織の後、国際会議の主題等を再確認した。国際会議の名称は「東日本大震災国際会議」である。主題は「原子力神話に抗して-フクシマからの問いかけ-」。日時は2014年3月4日(火)~7日(金)。ただし東北学院大学の入試による変更の可能性がある。
会場は東北学院大学・土樋キャンパス大会議室。予算820万円。会議は基調講演、神学講演、分科会から構成される。基調講演の講師には姜尚中氏(東京大学大学院教授・上尾合同教会員)が予定されている。
国際会議開催のために全国募金を呼びかけることが決定された。目標額は400万円。4月中にポスターと合わせて国際会議趣意書を発送し、各教区総会でも問安使がアピールすることとなった。
(加藤誠報)
1月31日、教団会議室にて、38総会期教団救援対策本部第2回(通算第19回)会議を開催した。
今回の会議は、38総会期第1回常議員会において選出された委員(石橋秀雄、伊藤瑞男、雲然俊美、大村栄、岡本知之、北紀吉、藤掛順一、佐久間文雄、稲松義人、嶋田順好)による最初の会議で、まず、石橋教団議長が本部長、伊藤教団副議長が副本部長、雲然教団書記が書記の任を担うことを確認した。
続いて、東日本大震災における教団の救援対策活動が初動から中長期的な活動へと移行したことを受けて、救援対策本部においては、被災教会からの会堂・牧師館再建復興支援申請などの、救援対策活動における重要事項を扱うことを確認した。
また、救援対策室においては、継続中の活動(仙台エマオ、石巻エマオ、ハートフル遠野)の状況を把握し、活動を推進すること、国内募金活動の展開と海外の教会への献金呼びかけを推進すること、震災に伴う原発事故・放射能汚染問題の対応の窓口となること等を確認し、救援対策室の委員を選任した。
その後、1月31日現在の国内募金総額が4億7766万9083円、海外からの献金が2億3379万5283円となっていることが報告されたほか、救援対策室からの報告、および、被災教区からの報告がなされた。
また、来年3月に仙台において開催することを計画している東日本大震災国際会議について、同実行委員会からの報告がなされた。
審議事項においては、救援対策室から来年度の救援対策活動の計画と予算案、震災2周年メモリアル・マンス関連事項等が提示され、協議の後、今後さらに同対策室において検討することとした。
また、会堂・牧師館再建復興支援として、東北教区の5教会(角田、川俣、いずみ愛泉、三春、磐城)への支援(合計423万7千円)と貸付(支援と同額)、および関東教区の足利東教会への支援(28万7千円)を決定した。
そのほか、台湾基督長老教会との確認事項(共同声明、神学宣言の発表等)の検討等を扱った。
次回会議は、3月19日、教団会議室にて開催する。
(雲然俊美報)
教団総幹事 長崎哲夫
2011年3月、救援初動
東日本大震災から丸2年が過ぎようとしている。
日本基督教団東日本大震災救援対策本部(以下本部)は、この3・11に際して全教区・支区・地区・教会に「メモリアル・マンス」の集会を呼びかけ、被災教会と地域の救援とそのための募金を諸教会と共に一致して祈り、その手を些かも緩めず実施して行く。
顧みて、あの日の翌日3月12日には、教団は総幹事を委員長として、「救援対策委員会」を立ち上げ、①教団議長を隊長とし、被災地の状況把握のため調査隊派遣。②社会委員会は国内募金開始。③HP・教団新報・後に対策本部ニュース等広報活動開始。④被災の奥羽・東北・関東3教区に初動活動資金各1千万円、見舞金50万円を送金。⑤現地との連絡を密にするため、世界宣教幹事を震災担当幹事に兼任させ、⑥救援対策本部専用事務室を設置。⑦少し遅れて被災教区と共働で仙台・石巻・遠野に救援活動拠点を設置した。
更に、臨時常任常議員会(3月22日)及び臨時常議員会(4月18日)をもって、「本部」を三役・常議員5名・キリスト教社会事業同盟1名・キリスト教学校関係者1名をもって設置、此処へ東京も含めた被災4教区総会議長も常時陪席し、本格的な救援体制を整えた。
ここで本部は、救援の主題を、「地域の人々の救いに仕える教会の再建を目指して」、①礼拝共同体の支援、②教会を通しての被災地域への支援。聖句を「わたしたちの助けは、天地を造られた主の御名にある」(詩編124・8)とし、2011年3月23日付、「東日本大震災・戦後最大の日本の危機に立ち向かって-被災地域の教会と共に、命に仕える」議長声明を発表した。
救援募金の計画・実施
これにより、本部は先ず毎月「11246祈りの時」を教団全教会に呼びかけ、全教団の信徒運動として毎週百円・毎月4百円の献金をお願いした。それは、教団5万6240人の日曜礼拝者が毎月4百円を1年間献げると年2億6995万2000円となり、4年間では10億円を越すとの目論見によるものだった。
前後して、本部は本格的な被災状況調査のため同年6月被災教区、教会、地域に委員を派遣、「救援募金」を国内10億円うち5億円を会堂・牧師館の再建、5億円を教会の属する地域人道支援のためとし、「海外募金」を、12億円うち教団関係施設・学校・地域支援10億円、会堂・牧師館支援2億円として内外に募金を訴えた。
果たして、教団関係の海外教会からの敏感な援護と見舞いが頻繁に起こり、国内教会・学校・団体・個人の相当の人数がボランティアとなり、教区によっては連続した派遣の実績を積んで今日を迎えている。
救援活動の整理・推進
しかし、現地は語り尽くせない初動の混乱・試行錯誤・思いがけない人々の動き、期待、絶望等様々なものが行き交う場でもあった。
これに対応するため、本部はボランティア調整役1名を本部担当幹事のもとに採用し、尚且つ仙台・石巻各エマオには担当幹事補佐1名ずつを置いて、先ずドロカキから始められた作業、遠野では、被災者受け止めと寄り添い等尊い労力が集められて、所期の目的を果たして行った。
本部はこれらを経て、対策室長会議を設定し、被災初動の混乱の整理と日常的に具体的な課題や要望等取り上げるべき案件の整理と緊急性の高い事柄の決済を行なうこととした。
また、本部職員等「救援旅費規定」等を定め、多忙を究めた救援活動の途上、とかく渋滞がちだった会計処理を行い、救援ニュース等をもって明瞭な人道支援会計報告が出来た。
前後して、内外からの募金運動を通して、「全教団一致して救援に当たる」ことを願い、「被災教会」支援は、「教区」が受け止めて必要経費を算定し、これにより、本部は支援金と貸し出し金を支出するとした教会⇔教区⇔教団の一本化システムを創設した。
これは、震災1年の2012年3月をもって、「被災教会支援金配分規定」並びに「貸し出し制度」となり、支援金の配分は、専ら国内募金を当て、支援は一教会の会堂・牧師館再建総額の半額とし、残り半額は無利子で向こう20年返済で貸し出すものとして実施を開始し現在に至っている。
一方、海外募金は「人道支援」として、エマオ仙台・エマオ石巻、ハートフル遠野の3拠点のボランティア活動支援とクリスマス及び音楽会等の集会をはじめ、放射能汚染地域の子どもらのための保養プログラム「こひつじキャンプ」(これは今後、教区・教会でも是非協力いただきたい企画である)、アジア学院と福島県下2施設再建、被災地域牧師夫妻の健康診断(人間ドック)、東北大学の臨床宗教師育成を目的とする寄附講座参画、食品放射能測定器購入等に主として指定献金を当てた。
救援事業3年目を迎え
この間、本部は2011年8月、「現代日本の危機とキリスト教-東日本大震災を通して問われたこと」緊急シンポジウムの開催、2012年3月には、「福島第一原子力発電所事故に関する議長声明」が発信され、大災害に対する教団の姿勢を表明した。
大震災3年目を迎えようとしているいま、初動及び短期救援事業を顧みた。本部はこれをもとに中長期的な救援事業に入って行くに当たり、3月11日付「福島第一原子力発電所事故3年目を迎えるに際しての議長声明」を発表する準備を開始している。
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