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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4769号】第129回 神奈川教区総会

2013年3月23日

教区活動基本方策、計画原案どおり可決
平良愛香新議長選出

2月23日、清水ケ丘教会にて第129回神奈川教区総会が開催された。神奈川教区は年2回教区総会を行なう。開会時の出席議員は238名中175名であった。今回は、按手礼執行、第1種教会建設、活動基本方策・計画、予算、三役・常置委員選挙、他が行なわれた。
正教師按手礼に関する件では、受按志願者2名が所信を表明した。議場からは教区形成基本方針に対する姿勢を問う質問があった。質疑の後、岩﨑隆議長は「教団の教師検定試験は不当とまでは言わない人は」と前置きして按手執行の賛成を求め採決、多数で可決、按手を執行した。
上星川教会が第1種教会となることが承認された。上星川教会は、1950年に伝道を開始し、1963年伝道所承認、1964年第2種教会となった。2011年末に現在地(横浜・保土ケ谷区)に新会堂を建設し今回の第1種教会建設となった。
2013年度教区活動基本方策案、活動計画案では、原案に対して、須田拓議員(橋本)から「教区を挙げて主イエス・キリストの福音を伝道することに全力を注ぐ」という一文を「教区の宣教」の第1項目に加える修正動議が出され、修正案は採択、質疑の後、採決された。修正案は181名中賛成80名により否決。原案が102名の賛成によって可決した。前文と40項目に亘る活動基本方策、5地区、並びに31の部・委員会・小委員会がそれぞれに策定したところの活動計画が実施される。
2013年度予算案は、前年比12万円増、5913万円の原案を賛成多数により可決した。
議長選挙は予備投票によって候補者5名を選出し本投票を行なった。平良愛香現副議長(三・一)が有効投票数188票中105票によって当選した。副議長選挙は、同じく予備投票により候補者5名を選出、本投票を行なった。古谷正仁議員(蒔田)が有効投票数173票中108票によって当選した。正副議長の推薦により書記に三宅宣幸議員(元住吉)を選出した。
この他、「謝恩日献金教区目標に取り組む」、「原発事故被災者支援、脱原発に向けた働き」、「沖縄の祈りに連帯、オスプレイ配備反対声明」、「朝鮮学校補助金打ち切り抗議」がそれぞれ賛成多数にて可決された。
常置委員選挙結果
【教職】尾毛佳靖子(戸塚)、井殿準(翠ケ丘)、高橋博(新丸子)、岩﨑隆(六ツ川)、藤掛順一(横浜指路)、森研四郎(鎌倉)
【信徒】小川信順(茅ヶ崎)、斉藤圭美(高座渋谷)、田崎幸子(溝ノ口)、山﨑輝幸(横浜指路)、新庄悦子(蒔田)、望月克仁(鎌倉雪ノ下)
(教団新報編集部報)

ルカによる福音書24章13〜35節

黒田道郎

主の復活の不思議

ルカ福音書24章13節以下の記事は、主イエスの復活の特徴をはっきり示しています。二人の弟子がエルサレムからエマオへ向かう途中、イエスご自身が近づき、二人の会話に加わりました、しかし二人の目は遮られて、イエスだと分かりませんでした(16節)。
主イエスの弟子でありながら、目の前におられる主に気づかなかったとは考えられません。しかも主イエスとの会話が弾む道中を共にしながらのことです。道々彼らはエルサレムで起こった、十字架と復活を話題にしています。聖書全体の説き明かしを聞いています。
それでも彼らの目は遮られていたのでした。二人の弟子にとって復活の主イエスが見えなかった理由は、主の十字架の死という出来事が、すべての望みを失ったからでした。

目を遮るもの

私たちも、予期せぬ出来事や絶望感に陥ることを経験します。2年前の3月11日の金曜日の出来事は、私の人生で最も大きなものでした。主日礼拝の説教準備がまったく進まず、ただ呆然とするのみでした。四国の地で地面は揺れなくても、体の震えが止まらなかったことを鮮明に覚えています。2年たった今でも復興が遅々として進まない現実が、私たちの前にあります。二人の弟子たちと同じように、この世の厳しい現実は私たちの目を遮ります。
それでも3日後、待ったなしで主日がきました。ヨハネ福音書の講解説教中で7章21節以下が聖書箇所でした。主がこの世を去ることを告げる内容でしたが、「わたしはある」と主ご自身が2度言われていました。主なる神が出エジプト記で、モーセにその名を明かされた「わたしはあるという者だ」(3章14節)と結びつきます。神の御心を必死で尋ね求める説教者に、お答えくださったと受けとめました。神は存在する。存在し続ける。復活の主イエスも私たちと共におられることを、あなたは信じるかと問われ、信じますと懸命に講壇から語りました。

目が開かれる

さて、二人の弟子たちの目が開かれたのは、食事の席でパンを裂いて渡す行為の時でした。その時、その姿は見えなくなったとあります(31節)。何とも言えない不思議なことですが、これが復活の主イエスの大きな特徴です。目が遮られて見えない。目が開かれても見えなかったわけです。
しかし、二人は心が燃えたと互いに語り合い、エルサレムへ直ちに引き返しました。復活の主イエスとお会いした興奮と喜びを、仲間に伝えるためでした。あるいは、復活の主イエスが、自分たちのところに来てくださったことを、報告したかったのかもしれません。

厳しい現実に対して

2年前の大きな出来事を経験し、私たちはそれぞれ努力しました。にもかかわらず、これからの希望がはっきり見えてこない現実があります。この世の様々な問題が次々と起こります。この世に立つ教会も勢いが年々無くなる傾向は続きます。
そのような私たちにイースターの日がやってきました。ハッピー・イースターとは手放しで喜べない私たちですが、ルカ福音書は良い知らせを告げます。ご一緒に3つのメッセージを聴きましょう。
先ず、私たちの目はすぐ遮られてしまいます。厳しい現実の前に、復活の主イエスが分からなくなります。いつも主イエスと共に生きていると思っていても、主を見失うのです。
ところが、主イエスを見失う私たちのところへ、主の方から近づいてくださるのであります。そして共に歩んでくださいます。さらに言えば、復活の主イエスだと分かるまで、同行してくださるのではないでしょうか。
もっとも25節では「ああ、物分りが悪く、心が鈍く…」と主イエスが言われています。しかしそう言われつつ、ずっと付き合ってくださるのであります。

主イエスの仕草

次に、二人がイエスだと気づいたのは、パン裂きの行為だったということです。会話や教えではなく、主イエスのいつもの仕草であったのです。興味ある事実です。私の仕える教会では、毎月1回の聖餐式を大事にします。礼拝において説教も賛美も祈りも欠かせない要素でありますが、聖餐に与かることによって、信仰の土台を確かにしています。復活の主イエスがパンを裂かれたことを想起し、復活の主と共に歩んでいることを確信できるのは幸いです。

心が燃やされて伝道に

最後に、二人の心が燃え、仲間たちに伝えた行動をしっかり覚えたいと思います。ここに伝道の原点があります。
良い知らせを聞き、福音に触れ、沸きあがるような喜びと感謝が動機となって伝道するのです。時を移さず(33節)、難しさがあっても、邪魔されても、たとえ迫害されてもするのが伝道です。私たちを、伝えたくてたまらない思いにさせてくださるのが、復活の主イエス・キリストです。
私が議長を務める四国教区は地方教会が多い教区です。伝道の厳しさを痛感しながら歩んでいます。しかし一方で開拓伝道を真剣に考え、伝道魂に燃える教会もあります。
伝道は神さまのなさる業で、私たちが必要とするのでなく、神が必要とされる教会を立てたいと願ってのことです。自分が救われた喜びを伝えたい、この素直な思いが、神さまのなさる伝道に役立つことを信じます。
イースターおめでとうございます。
(四国教区総会議長、石井教会牧師)

13:1 兄弟としていつも愛し合いなさい。
13:2 旅人をもてなすことを忘れてはいけません。そうすることで、ある人たちは、気づかずに天使たちをもてなしました。
13:3 自分も一緒に捕らわれているつもりで、牢に捕らわれている人たちを思いやり、また、自分も体を持って生きているのですから、虐待されている人たちのことを思いやりなさい。
13:4 結婚はすべての人に尊ばれるべきであり、夫婦の関係は汚してはなりません。神は、みだらな者や姦淫する者を裁かれるのです。
13:5 金銭に執着しない生活をし、今持っているもので満足しなさい。神御自身、「わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない」と言われました。
13:6 だから、わたしたちは、はばからずに次のように言うことができます。「主はわたしの助け手。わたしは恐れない。人はわたしに何ができるだろう。」
13:7 あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見倣いなさい。
13:8 イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。
13:9 いろいろ異なった教えに迷わされてはなりません。食べ物ではなく、恵みによって心が強められるのはよいことです。食物の規定に従って生活した者は、益を受けませんでした。
13:10 わたしたちには一つの祭壇があります。幕屋に仕えている人たちは、それから食べ物を取って食べる権利がありません。
13:11 なぜなら、罪を贖うための動物の血は、大祭司によって聖所に運び入れられますが、その体は宿営の外で焼かれるからです。
13:12 それで、イエスもまた、御自分の血で民を聖なる者とするために、門の外で苦難に遭われたのです。
13:13 だから、わたしたちは、イエスが受けられた辱めを担い、宿営の外に出て、そのみもとに赴こうではありませんか。
13:14 わたしたちはこの地上に永続する都を持っておらず、来るべき都を探し求めているのです。
13:15 だから、イエスを通して賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神に献げましょう。
13:16 善い行いと施しとを忘れないでください。このようないけにえこそ、神はお喜びになるのです。
13:17 指導者たちの言うことを聞き入れ、服従しなさい。この人たちは、神に申し述べる者として、あなたがたの魂のために心を配っています。彼らを嘆かせず、喜んでそうするようにさせなさい。そうでないと、あなたがたに益となりません。
13:18 わたしたちのために祈ってください。わたしたちは、明らかな良心を持っていると確信しており、すべてのことにおいて、立派にふるまいたいと思っています。
13:19 特にお願いします。どうか、わたしがあなたがたのところへ早く帰れるように、祈ってください。
13:20 永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエスを、死者の中から引き上げられた平和の神が、
13:21 御心に適うことをイエス・キリストによってわたしたちにしてくださり、御心を行うために、すべての良いものをあなたがたに備えてくださるように。栄光が世々限りなくキリストにありますように、アーメン。

2013年3月22日

12:14 すべての人との平和を、また聖なる生活を追い求めなさい。聖なる生活を抜きにして、だれも主を見ることはできません。
12:15 神の恵みから除かれることのないように、また、苦い根が現れてあなたがたを悩まし、それによって多くの人が汚れることのないように、気をつけなさい。
12:16 また、だれであれ、ただ一杯の食物のために長子の権利を譲り渡したエサウのように、みだらな者や俗悪な者とならないよう気をつけるべきです。
12:17 あなたがたも知っているとおり、エサウは後になって祝福を受け継ぎたいと願ったが、拒絶されたからです。涙を流して求めたけれども、事態を変えてもらうことができなかったのです。
12:18‐19 あなたがたは手で触れることができるものや、燃える火、黒雲、暗闇、暴風、ラッパの音、更に、聞いた人々がこれ以上語ってもらいたくないと願ったような言葉の声に、近づいたのではありません。
12:20 彼らは、「たとえ獣でも、山に触れれば、石を投げつけて殺さなければならない」という命令に耐えられなかったのです。
12:21 また、その様子があまりにも恐ろしいものだったので、モーセすら、「わたしはおびえ、震えている」と言ったほどです。
12:22 しかし、あなたがたが近づいたのは、シオンの山、生ける神の都、天のエルサレム、無数の天使たちの祝いの集まり、
12:23 天に登録されている長子たちの集会、すべての人の審判者である神、完全なものとされた正しい人たちの霊、
12:24 新しい契約の仲介者イエス、そして、アベルの血よりも立派に語る注がれた血です。
12:25 あなたがたは、語っている方を拒むことのないように気をつけなさい。もし、地上で神の御旨を告げる人を拒む者たちが、罰を逃れられなかったとするなら、天から御旨を告げる方に背を向けるわたしたちは、なおさらそうではありませんか。
12:26 あのときは、その御声が地を揺り動かしましたが、今は次のように約束しておられます。「わたしはもう一度、地だけではなく天をも揺り動かそう。」
12:27 この「もう一度」は、揺り動かされないものが存続するために、揺り動かされるものが、造られたものとして取り除かれることを示しています。
12:28 このように、わたしたちは揺り動かされることのない御国を受けているのですから、感謝しよう。感謝の念をもって、畏れ敬いながら、神に喜ばれるように仕えていこう。
12:29 実に、わたしたちの神は、焼き尽くす火です。

2013年3月21日

12:1 こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、
12:2 信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。
12:3 あなたがたが、気力を失い疲れ果ててしまわないように、御自分に対する罪人たちのこのような反抗を忍耐された方のことを、よく考えなさい。
12:4 あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません。
12:5 また、子供たちに対するようにあなたがたに話されている次の勧告を忘れています。「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、/力を落としてはいけない。
12:6 なぜなら、主は愛する者を鍛え、/子として受け入れる者を皆、/鞭打たれるからである。」
12:7 あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神は、あなたがたを子として取り扱っておられます。いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか。
12:8 もしだれもが受ける鍛錬を受けていないとすれば、それこそ、あなたがたは庶子であって、実の子ではありません。
12:9 更にまた、わたしたちには、鍛えてくれる肉の父があり、その父を尊敬していました。それなら、なおさら、霊の父に服従して生きるのが当然ではないでしょうか。
12:10 肉の父はしばらくの間、自分の思うままに鍛えてくれましたが、霊の父はわたしたちの益となるように、御自分の神聖にあずからせる目的でわたしたちを鍛えられるのです。
12:11 およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。
12:12 だから、萎えた手と弱くなったひざをまっすぐにしなさい。
12:13 また、足の不自由な人が踏み外すことなく、むしろいやされるように、自分の足でまっすぐな道を歩きなさい。

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