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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4771号】宣教師からの声 番外編

2013年4月20日

遺愛は2011年1月に創基137周年を迎えた北海道で最も長い伝統をもつ女子中学高校である。
創基に関わったM・C・ハリス夫妻が米国メソジスト監督教会から伝道のために日本に派遣され、函館に到着したのが1874年1月26日であった。ハリス夫人はすぐに子女を集め『日々学校』を始め、英語や聖書、裁縫、作法などを教えた。最初の生徒は5人であったが、ハリス夫人にとってはこの5人の生徒を得たことは生涯忘れることのできない歓びの一つだった。
『日々学校』の生徒たちは、その後、M・C・ハリスの開いた私塾『愛育学校』で学んだ。ハリス夫人は平常教育は行っていたものの不十分と考え、寮つきの正式な女学校を作りたいと願い、祈り、アメリカメソジスト監督教会の婦人外国宣教協会(WFMS)の『Heathen Woman’s Friend』という機関誌に寄稿した。
その文章が当時、愛娘を病気で失い悲しみのなかにあったカロライン・ライト夫人の心を動かした。夫人はドイツ駐在アメリカ公使夫人としてドイツに住んでいたが、アメリカに残してきた子どもの1人が重病になり、危篤の知らせを受けた。驚いた夫人はせめて、1日でも看病したいと祈りつつ帰国した。病床にあった娘も、母に一目会いたいと祈っていた。この祈りがかなえられ数日看病することができ、母の手のなかで感謝しつつ召された。
ライト夫人は主の深い恩寵に応えるために、何か奉仕をしたいと考えていた時に、ハリス夫人の一文を読み、娘と同じ年齢で教育を受けられないでいる異国の少女のために尽くすことこそ、その使命であると考えた。それまで蓄えていた愛娘のための教育資金と編み物や刺繍をおこない教会バザーで販売した益金、信仰の友への呼びかけで集まった献金をあわせて1800ドルを、函館の女子教育のために献げた。
1878年10月教育宣教師としてプリーストが函館に派遣された。1879年12名の生徒で学校を開設するが、同年12月6日の大火で教会と校舎が焼失した。プリーストは自分の寝室で授業を継続したが、大火のショックが大きかったのだろうか、健康をそこない1880年春に帰国した。
しかしついに祈りがかなえられ、1882年2月1日に文部省認可の女学校「カロライン・ライト・メモリアルスクール」が設立された。初代の校長はウッズワースであった。最初の入学生は6名であったが、9月には寄宿生16名と数人の通学生を数えるようになった。
当初、学校名は『カロライン・ライト・メモリアル・スクール』だったが、当時は横文字が受け入れられにくく生徒が集まらないので開校3年目に、『遺愛女学校』と校名変更をした。
初代校長のウッズワースが結婚のために1年で日本を離れたため、代わりに第2代校長にハンプトンが就任した。ハンプトンは在校生にとっては優しく包み込む母親のような存在であったが、校長になった当時、学校の整備に生徒募集に相当苦労をした。函館の一般家庭を回ったり、弘前にも出かけていった。とても忙しく、助け手をアメリカに求めたところ、1883年にハミスファー宣教師(医師でもあった)が派遣された。ハミスファーは北海道で最初の女医であり、朝6時から函館の人々のために診療をし、合間に遺愛の生徒に教え、函館師範学校でも毎日1時間英語を教えた。1887年にはハンプトンの努力のかいもあり、生徒数は94名になった。この年、ヒューエットが第3代校長となり、ハンプトンは一時帰米するが、1888年に再来日し弘前遺愛女学校に赴任するが、また遺愛に復帰する。その後、第4代校長デカルソンを助けながら、現在のキャンパス、遺愛の校舎および元町幼稚園の整備に貢献し、34年間、遺愛の教育に身を捧げた。
遺愛の教育の基盤をつくり、奉仕の伝統をつくったのは第4代校長のオーガスタ・デカルソンと言っていいであろう。デカルソンは1890年(明治23年)に校長に就任し、1891年予備科、翌年に小学校をつくり、1895年に幼稚園を併設した。また弘前に姉妹校の「来徳女学校」ができ、出張し指導にあたっていた。遺愛では35年間校長職を務め、『信仰・犠牲・奉仕』を遺愛の校訓として位置づけたのはデカルソンであった。デカルソンは寮生を中心に王女会を組織し、教会の日曜学校を手助けするとともに、貧民救済、病人慰問、幼児教育のために生徒とともに奉仕をしていた。
1918年には、草花をもって病院訪問、編み物、袋物、刺繍細工などで得たお金をロシア革命の混乱のなかにあったシベリアの子供のために送金していた。1923年の関東大震災にあたっては、教職員・生徒の働きで衣類・肌着などを製作・寄贈し、献金を送り、また1925年には朝鮮半島の水害に衣類と附属品を送っていた。
デカルソンについては、函館盲学校・聾学校との関わりについて注目される。函館盲学校・聾学校の前身である訓盲院は1895年にメソジスト教会のシャーロッテ・ピンクニー・ドレーパーが設立したが、デカルソンは設立当初より財政的な支援、授業も担当し、訓盲院を支えた。一時期は遺愛がその経営母体になった時期があり、遺愛の卒業生が教師になっていた。
現在、卒業生を2万3591人輩出しているが、『信仰・犠牲・奉仕』を身をもって示した初期の宣教師達の精神が、今も確かに継承されている。
-Kyodan Newsletterより-


			

比嘉多恵子氏(隠退教師)
13年2月4日逝去、98歳。東京都に生まれる。’39年日本神学校を中退。’62年受允、’72年受按。’62年那覇中央教会に赴任、’84年まで牧会し、隠退した。遺族は義弟・比嘉盛二郎さん。

小国清子氏(休職教師)
13年2月13日逝去、90歳。香川県に生まれる。’54年日本聖書神学校を卒業。同年田園調布教会に赴任、香川豊島教会、香川直島伝道所を12年まで牧会し、休職した。遺族は甥・田中暉彦さん。

杉原 助氏(隠退教師)
13年2月26日逝去、85歳。岡山県に生まれる。’52年日本基督教神学専門学校を卒業。同年長府教会に赴任、岩国東教会、広島南部教会を経て安行教会を’97年まで牧会し、隠退した。遺族は娘・徳村葉子さん。

田島信之氏(無任所教師)
12年1年31日逝去、96歳。東京都に生まれる。’42年ユニオン神学校を卒業。’50年牛込払方町教会に赴任、青山学院を経て’75年より’80年まで弘前学院に勤めた。遺族は娘・小宮山喜枝子さん。

2013年2月19日~25日の間、南インド合同教会(以下CSI)の招きにより、日本基督教団より秋山徹世界宣教委員会委員長と大三島義孝宣教委員会幹事及び加藤誠世界宣教幹事がチェンナイ(タミル・ナードゥ州州都)にあるCSI本部を訪れた。
目的は共に合同教会である両教団の理解を深め、人事交流を含め、どのような宣教の分野で協力できるかを協議するためであった。
20日朝の礼拝からプログラムが始まった。秋山牧師が説教を担当した。靴を脱ぎ、カーペットに座って礼拝を守った。本部の中の各部署を案内してもらった後、午後から第1回目の協議が始まった。
CSIからは、教団総会議長であるRev.Dr.G.Devakadashamビショップを始めとして副議長、総幹事、財務責任者と4人のディレクターと婦人会担当幹事が出席した。最初それぞれの教団の歴史を紹介し、具体的な分野での協議に入った。
CSI側からは、豊かな人的資源(信徒数400万)、活発な宣教活動(国内信徒宣教師2000人)を背景に、短期間であっても共に伝道活動をすることや、ミッションスクールに教師を派遣することが提案された。農業指導者や社会福祉、特に高齢者のケアーについての専門家を派遣して欲しいという要望が出された。
教団からは将来インドの青年を含めた国際会議の開催を日本で開催したいこと。牧師、青年、教育主事等の交換プログラムを企画し、相互交流に力を入れたい事等が提案された。
21日の午後まで会議は続き、相互の教会創立記念日を互いに覚えて祈ることが約束された。
22日からはナマカルに向けて小旅行をした。途中ベルーアではCSIの農業センターを訪問し、あきたこまちの米作に今年は取り組むことを知った。ナマカルは人口17万に対し1万4千人がエイズ感染者である。CSIはセンターを設置して支援している。
24日は二つの教会の礼拝に参加した。日本では考えられない音量の讃美に少々圧倒された。
(加藤誠報)

第38回総会期第1回宣教委員会が3月18日〜19日、教団会議室で開催された。今期委員は、張田眞、加藤幹夫、具志堅篤、白戸清、田中かおる、望月修、宮本義弘の7名に、小林克哉(伝道)、清藤淳(教育)、釜土逹雄(社会)、渡辺多恵子(全国教会婦人会連合)、石井錦一(日本キリスト教保育所同盟)、古屋博規(全国教会幼稚園連絡会)が陪席者として加わる。
張田委員による開会礼拝の後、委員長に張田委員、書記に具志堅委員、「障がい」を考える小委員会に加藤委員を委員長として選任した。
前期委員会からの申し送り事項「①キリスト教社会事業同盟、キリスト教保育所同盟との連携強化。②『障がい』を考える小委員会の継続。③『牧会者とその家族のための相談室』設置。④幼稚園、保育園問題の課題(伝道協力)。⑤グローバル化時代の宣教形態の研究。⑥東日本大震災国際会議」をもとに、今期宣教委員会のあり方について協議した。
前期に「牧会者とその家族のための相談室」の設置が常議員会から差し戻された。緊急かつ重大な課題であり、仕切り直して再度上程することとした。
宣教研究所から出された「宣教基礎理論」を深め、宣教委員会は「宣教方策」を考えねばならない。教団総会が開催されない年に「宣教方策会議」を開催することになっている。今期の主題は「伝道と伝道者、牧会と牧会者」(仮)とする。内容に関しては次回委員会で協議する。3月開催が続いたが「東日本大震災国際会議」開催時期と重なるので、11月開催に向けて準備を進める。
常議員会、常設専門委員会、自主活動団体の報告を受けた。伝道委員会から幼保一体化に向けての「子ども子育て新システム」緊急研修会(4月2日)の開催と、「教会中高生・青年大会」が2014年8月開催予定の報告を受けた。
2012年度決算、及び2013年度予算を承認した。在日大韓基督教会との宣教協力の推進に関する件を協議した。
次回委員会は7月15日〜16日を予定している。
(具志堅篤報)

第38総会期第1回予算決算委員会が3月7日~8日に教団会議室において行われた。
互選の結果、愛澤豊重委員(松沢)を委員長に、長谷川洋介委員(石岡記念)を書記に選出、他は森川惠美子委員(阿佐ヶ谷)、奥山盾夫委員(千葉本町)、小平正宣委員(代々木中部)、宮下重康委員(玉川)、森研四郎委員(鎌倉)である。
常任委員として委員長と書記、互選により森川委員を選任した。
第37総会期委員会よりの申し送り事項について次のように確認すると共にその検討を開始した。
①未収入金・未払い金の解明・整理 帳簿をたどって解明する必要がある。会計報告をわかりやすくする。
②より適正な教区負担金賦課方式の検討 各教区ごとの教会員一人あたりの負担金額を確認し比較してみる。また現在の教区負担金賦課計算式を確認してみる。
③教区活動連帯金の制度変更への対応 現状維持ということではなく、伝道目的の理念で構築され提案されている制度への対応が必要である。
④経常会計・収益事業会計の減価償却引当預金の充実 長い間減価償却を考えてこなかったという問題点がある。
⑤救援対策引当預金の充実・運用規定の整備 「救援対策基金に関する運用規定」と「事務局規定細則」の重複部分の整理が必要である。
⑥三局・部落解放センターの合算計算書の改善 三局の連結財務諸表(試案)の必要性について検討。
その他、今回の委員会において以下を行った。
①第37回教団総会財務審査委員会報告の検討。②新しい会計ソフトの導入に関する件の承認。これは公益法人会計規則に準拠する改善である。③2012年度第二次補正予算案に関する件の承認。④全国財務委員長会議の日程を2013年9月30日~10月1日に決定した。
(長谷川洋介報)

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