3年に一度のアメリカ合衆国長老教会(PCUSA)青年大会(Presbyterian Youth Triennium/PYT)が、7月16日から20日にかけて開催された。主題は「I am」。約5300名の高校生の年代の若者たちが全米また世界中からインディアナ州のパデュー大学に集まり、忘れられない5日間を過ごす。参加者は大学の寮で寝起きし、音楽と踊りと演劇に満ちた全体礼拝を中心に、分団での活動、ピクニックやダンスパーティーなどの多彩なプログラムの中で活動する。
この度、PCUSAからグローバルパートナーとして招待を受け、国際関係委員会が高校生を募集・選考し、エデフォスはんなさん(静岡英和女学院高等学校)と髙野夢さん(山梨英和高等学校)の両名を派遣した。引率は、望月麻生国際関係委員と高田輝樹職員。
7月中旬に海外の研修旅行へ出かけることは、日本の高校生にとっては試験や学校行事との関係で決して容易い決断ではない。また、参加対象者はアメリカ人の高校生を前提としているため、英語はできて当たり前の世界である。また自らの信仰に関しても学生たちはプログラムを通して深く問われる。もちろん教団を代表するという一面も持つ。つまり、このキャンプは誰でも容易く参加できるものではない。はんなさんと夢さんがインディアナ空港からパデュー大学へ向かうバスの中でどれほど緊張していたことかは想像に難くないだろう。
しかし彼女たちは自分の賜物を惜しみなく発揮し、多くの出会いと友情が与えられた。日本を紹介する出店では浴衣を着てアメリカの参加者たちに折り紙を教えた。日本語で参加者らの名前を書くサービスはとても喜ばれた。また、日本語の「主の祈り」を多くの人々に教えた。彼女たちの周りには常に大きな輪ができ、彼女たちの参加を多くの人々が喜んでいた。
また、PYTが終わってからの2日間、パデュー大学の近くにあるCentral Presbyterian Churchの方々にお世話になった。ホームステイをしながら主日礼拝への出席、信徒宅のプール付き庭で行われた青年会への参加など、アメリカでの教会生活を体験する良い機会となった。
多くの方々の支えと祈りをいただきながら無事に全日程を終えられたことに感謝である。
(望月麻生報)
山梨英和高等学校 髙野 夢
アメリカ合衆国長老教会青年大会(PYT)、それは私が思っていた以上に意義のあるもので、実りの多いものでした。世界各国から5千人以上の参加者が集まり、5日間共に過ごしました。
最初は不安もありましたが、私がアメリカで出会ったすべての人はとても優しく親切で、すぐに良い関係を築くことが出来ました。
PYTでは、各々の国の文化の共有や意見交換、ビデオ鑑賞など様々なことをしました。
その中でも特に心に残っているのは、ほぼ毎日行われた賛美の時間です。5千人がホールに集まり、歌ったり踊ったりしながら神を賛美します。これが心に残っているのは、ただ楽しかったからではありません。この時間を通して、賛美の奥深さを学んだからです。言葉や文化を越え、5千人の気持ちを一つにし、同じ時間を共有させてくれる賛美の時間は本当に素敵だなと思いました。
この5日間はとても充実していて、PYTでの経験や出会いは、私の一生の財産となりました。
多くの恵みを与えて下さった神様に心から感謝いたします。
† † †
静岡英和女学院高等学校 エデフォスはんな
まず、神様がPYTを通して私に夢さんをはじめ、多くの 出会いを与えてくださったことに感謝したいです。夢さんと一緒だったから体験できたことが沢山ありました。PYTで出会った人々は私の宝です。
また、PYTではワーシップでたまたま隣に座った人も道ですれちがった人も初めて会ったのも国籍が違うのも関係なく、みんな優しく接し明るく挨拶を交わしていました。その姿をみて、私はこれこそが神の家族なんだなと思いました。私が5日間楽しく過ごせたのもこの家族の暖かみがあったからだと思います。
私がプログラムの中で一番感動したは、ワーシップです。5000人以上の高校生が一つの場所に集まり賛美すると、そこには何か大きなエネルギーのようなものを感じ、礼拝することがどれだけ素晴らしいことか思いおこされました。
このようなことを日本で体験するのは難しいと思います。そのことを悲しく感じると同時に日本も近い将来このようになるように祈り続けようと決心しました。
どうかこの文章を読んでくださっているみなさんも、日本の高校生の救いのためにお祈りください。
14:26 兄弟たち、それではどうすればよいだろうか。あなたがたは集まったとき、それぞれ詩編の歌をうたい、教え、啓示を語り、異言を語り、それを解釈するのですが、すべてはあなたがたを造り上げるためにすべきです。
14:27 異言を語る者がいれば、二人かせいぜい三人が順番に語り、一人に解釈させなさい。
14:28 解釈する者がいなければ、教会では黙っていて、自分自身と神に対して語りなさい。
14:29 預言する者の場合は、二人か三人が語り、他の者たちはそれを検討しなさい。
14:30 座っている他の人に啓示が与えられたら、先に語りだしていた者は黙りなさい。
14:31 皆が共に学び、皆が共に励まされるように、一人一人が皆、預言できるようにしなさい。
14:32 預言者に働きかける霊は、預言者の意に服するはずです。
14:33 神は無秩序の神ではなく、平和の神だからです。聖なる者たちのすべての教会でそうであるように、
14:34 婦人たちは、教会では黙っていなさい。婦人たちには語ることが許されていません。律法も言っているように、婦人たちは従う者でありなさい。
14:35 何か知りたいことがあったら、家で自分の夫に聞きなさい。婦人にとって教会の中で発言するのは、恥ずべきことです。
14:36 それとも、神の言葉はあなたがたから出て来たのでしょうか。あるいは、あなたがたにだけ来たのでしょうか。
14:37 自分は預言する者であるとか、霊の人であると思っている者がいれば、わたしがここに書いてきたことは主の命令であると認めなさい。
14:38 それを認めない者は、その人もまた認められないでしょう。
14:39 わたしの兄弟たち、こういうわけですから、預言することを熱心に求めなさい。そして、異言を語ることを禁じてはなりません。
14:40 しかし、すべてを適切に、秩序正しく行いなさい。
14:13 だから、異言を語る者は、それを解釈できるように祈りなさい。
14:14 わたしが異言で祈る場合、それはわたしの霊が祈っているのですが、理性は実を結びません。
14:15 では、どうしたらよいのでしょうか。霊で祈り、理性でも祈ることにしましょう。霊で賛美し、理性でも賛美することにしましょう。
14:16 さもなければ、仮にあなたが霊で賛美の祈りを唱えても、教会に来て間もない人は、どうしてあなたの感謝に「アーメン」と言えるでしょうか。あなたが何を言っているのか、彼には分からないからです。
14:17 あなたが感謝するのは結構ですが、そのことで他の人が造り上げられるわけではありません。
14:18 わたしは、あなたがたのだれよりも多くの異言を語れることを、神に感謝します。
14:19 しかし、わたしは他の人たちをも教えるために、教会では異言で一万の言葉を語るより、理性によって五つの言葉を語る方をとります。
14:20 兄弟たち、物の判断については子供となってはいけません。悪事については幼子となり、物の判断については大人になってください。
14:21 律法にこう書いてあります。「『異国の言葉を語る人々によって、/異国の人々の唇で/わたしはこの民に語るが、/それでも、彼らはわたしに耳を傾けないだろう』/と主は言われる。」
14:22 このように、異言は、信じる者のためではなく、信じていない者のためのしるしですが、預言は、信じていない者のためではなく、信じる者のためのしるしです。
14:23 教会全体が一緒に集まり、皆が異言を語っているところへ、教会に来て間もない人か信者でない人が入って来たら、あなたがたのことを気が変だとは言わないでしょうか。
14:24 反対に、皆が預言しているところへ、信者でない人か、教会に来て間もない人が入って来たら、彼は皆から非を悟らされ、皆から罪を指摘され、
14:25 心の内に隠していたことが明るみに出され、結局、ひれ伏して神を礼拝し、「まことに、神はあなたがたの内におられます」と皆の前で言い表すことになるでしょう。
14:1 愛を追い求めなさい。霊的な賜物、特に預言するための賜物を熱心に求めなさい。
14:2 異言を語る者は、人に向かってではなく、神に向かって語っています。それはだれにも分かりません。彼は霊によって神秘を語っているのです。
14:3 しかし、預言する者は、人に向かって語っているので、人を造り上げ、励まし、慰めます。
14:4 異言を語る者が自分を造り上げるのに対して、預言する者は教会を造り上げます。
14:5 あなたがた皆が異言を語れるにこしたことはないと思いますが、それ以上に、預言できればと思います。異言を語る者がそれを解釈するのでなければ、教会を造り上げるためには、預言する者の方がまさっています。
14:6 だから兄弟たち、わたしがあなたがたのところに行って異言を語ったとしても、啓示か知識か預言か教えかによって語らなければ、あなたがたに何の役に立つでしょう。
14:7 笛であれ竪琴であれ、命のない楽器も、もしその音に変化がなければ、何を吹き、何を弾いているのか、どうして分かるでしょう。
14:8 ラッパがはっきりした音を出さなければ、だれが戦いの準備をしますか。
14:9 同じように、あなたがたも異言で語って、明確な言葉を口にしなければ、何を話しているか、どうして分かってもらえましょう。空に向かって語ることになるからです。
14:10 世にはいろいろな種類の言葉があり、どれ一つ意味を持たないものはありません。
14:11 だから、もしその言葉の意味が分からないとなれば、話し手にとってわたしは外国人であり、わたしにとってその話し手も外国人であることになります。
14:12 あなたがたの場合も同じで、霊的な賜物を熱心に求めているのですから、教会を造り上げるために、それをますます豊かに受けるように求めなさい。
13:1 たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。
13:2 たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。
13:3 全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。
13:4 愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。
13:5 礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。
13:6 不義を喜ばず、真実を喜ぶ。
13:7 すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
13:8 愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、
13:9 わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。
13:10 完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。
13:11 幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。
13:12 わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。
13:13 それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。
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