総会議長に選任された直後の2010年11月にアメリカ改革派教会(RCA)ジョニー・アリセア=バエツ牧師と食事をした。その時に世界伝道への燃える思いをお聞きし、「是非、越谷教会を燃やして欲しい」とのお願いをし、2011年9月に特別伝道礼拝として実施することになっていたが、人事異動で来日が取りやめになって中止した。
しかし、今年の9月5日に来日し、教団事務局にグロリア・マッカンナ総会議長と共に訪問してくださった。この時もRCA世界宣教局長として、宣教ビジョンを語って下さった。特に中長期戦略として「変えられ、変えて行く」-過激な程、宣教するキリストに従う-を標語に3項目の戦略が信徒に届く言葉で語られている文書を見せていただき共感を覚えた。
そして、9月8日(日)、越谷教会にマッカンナ総会議長と共にアリセア=バエツ牧師が訪問してくださり、礼拝の説教をしてくださった。次代を担う青年を育てることを強調されながら、主の救いの圧倒的御業を熱く語ってくださり、越谷教会の礼拝が燃えた。加藤誠世界宣教幹事の通訳も説教者の燃える思いを伝えてくださり、見事だった。
御言葉への確信が深められ、高らかに主を讃美する礼拝を献げることが出来た。
帰りの飛行機の関係で短い時間であったが、マッカンナ総会議長の人格的温かさにふれ幸せな交流の時を持つことが出来た。
(教団総会議長 石橋秀雄)
母親のお腹の中にいるころから教会に通い、高校2年で受洗。気が付けば、教会学校校長や長老の重責を担うようになった。自分が教会の中でこのような形で用いられることに戸惑いや不安を覚えることも少なくはないが、神様の導きに委ねつつなんとかその務めに当たっている。
教会では重責を担うがしかし、仕事ではまだ見習いの立場である。父親のもとで主にリードオルガンの修復の仕事を始めて2年、書類上は父親と別会社を営んでいることになっているが、実際は父親の運転手兼助手だと遠慮気味に語る。
小学校の高学年頃、父親が独立をし、自宅がピアノやオルガン修理の工房となった。ピアノやオルガンに囲まれる生活。自ずと道は定まり、父親の助言もあり、ピアノ修理の修行のため長野から浜松へ。その後22年間、ピアノ修理の会社に勤めた。修行のつもりが結局22年故郷に戻らなかった。父親の歩んでいる道を継承することに抵抗や反発心が無かったと言えば嘘になる。22年の間に家族もできた。安定した生活を捨てることに勇気も必要だった。
しかし、父親の跡を継ぐということが、用意されたレールに乗る安易すぎる道と思っていた心を神様が解きほぐしてくださった。22年間の経験を活かしつつ新しい気持ちでリードオルガンと向き合う日々は充実している。
ピアノと向き合っていたころにはあまり感じられなかった、神様の御用に当たっているという気持ちが芽生えている。この2年間、全国を飛び回りつつ多くの出会いが与えられた。どの人からも、リードオルガンに対する熱い思いを聞くことができ、励まされている。
「電子オルガンにはない生の音色を絶やしたくはない。リードオルガンを通して、若い世代への信仰の継承や伝道ができるはず」と語る口調は、教会の長老というより頑固な職人の口調であった。
1967年生まれ。長野県出身。オルガン・ピアノ修理職人。遠州教会会員。
若い魂がキリストと出会い、日本各地の同世代の仲間と交わることにより、洗礼へと導かれ、主に仕える者とされ、さらに伝道献身者が起こされ、主の名によって立ち上がり歩み始めますように。ぜひ若者たちをこの大会へ!
◎主題 「イエス・キリストの名に
よって立ち上がり歩きなさい」
◎日時 2014年8月19日(火)
~21日(木)
◎場所 (財)日本YMCA同盟 国際青少年センター東山荘(静岡県御殿場市)
◎講師
青 年:芳賀 力 氏(東京神学大学)
高校生:深井智朗 氏(金城学院大学)
中学生:塩谷直也 氏(青山学院大学)
◎問合せ先
日本基督教団伝道推進室
「うわー、うそみたいにきれい!」
「やべぇ、これみんな本物かよ!」
沖縄・渡嘉敷島の美しい自然を目の前にして、東北の子どもたちは興奮気味に声を上げました。
8月7日~11日の5日間、沖縄キリスト教学院大学の招待を受けて被災地の小中学生16名が沖縄本島と渡嘉敷島で過ごしました。引率として日本基督教団の幹事、牧師、被災者支援センターの元スタッフの3名が同行し、現地で学生有志、牧師、神学生9名が加わり総勢28名での旅でした。
世界有数の美しさを誇るビーチは日中も夕暮れも私たちを魅了し、さらに海中で目の前を悠々と泳ぐ熱帯魚やウミガメの姿、地元青年団とのエイサー交流、美味しいソーキソバ、書ききれないすべてが夢のような日々でした。
参加した生徒16名は、津波で完全に自宅と故郷を失った子どもたち、福島第一原子力発電所すぐそばの自宅から関東の各地に避難している家庭の子どもたち、またあえて地元に留まっている家庭の子どもたちなど様々です。しかし特別な配慮を覚悟していた大人たちの心配もよそに、子どもたちは沖縄の学生たちに温かく見守られる中、互いに打ち解けてゆったりと5日間を満喫できました。
沖縄はその自然環境、文化・風土、人の温かさなど、普段から東北の人間にとってあこがれの土地です。ただし今回の企画が目指した地は単なる「観光地・沖縄」ではなく、より深い、三重の意味を持っています。
一つには「放射能汚染地域・未だ不安定な福島第一原発から最も遠い県」であること。これは送り出す家族の切実な願いでもあります。今回の企画のメインは海辺で過ごすことでしたが、津波と原発事故以降、海で楽しむことなど思いもよらなかった生徒にとってこのビーチでの思い出は最高のプレゼントとなりました。
第二に沖縄は「命(ぬち)どぅ宝(=命こそ宝)」の心が生きている地であること。雄大な大自然に包まれて過ごした私たちですが、実は渡嘉敷島を含む慶良間諸島は太平洋戦争末期に最初の集団自決が行われた地域です。島に渡って初日、私たちは3百余名が犠牲となった集団自決の現場で島のガイドの方から命の証言を伺う、貴重な機会を与えられました。
第三に沖縄は故郷を奪われる痛みを長期にわたって背負い続けている地域です。状況はやや異なるものの、津波、そして放射能汚染によって故郷を失っている東北の出来事は、いかに遠くの沖縄でも他人事ではないのです。
このように命の重さ、土地喪失の痛みを最も深く受け止める教区の方々からお招きを受けたことに多大なる意義を感じつつ、紙面をお借りして感謝申し上げます。
期間中、私たちは毎日全員で礼拝を守りました。聖書・讃美歌に初めて触れる生徒たちもいます。しかし沖縄の大自然と歴史という文脈の中で、十字架の意味について、私たちに与えられた命の使い方について、生きた礼拝を捧げることができたのは恵みでした。
沖縄からの帰途、福島第一原発の上空を飛行機で通過しつつ、先の見えないこの社会の中で子どもたちが希望と慰めの使者となってくれることを切に祈りました。
(荒井偉作報/名取教会)
日本基督教団は、1975年7月14~15日に開催された常議員会で部落差別問題特別委員会の設置を決め、教団として部落解放の働きを始めた。この原点を記念し教団部落解放センターは、7月第二主日を「部落解放祈りの日」として、全国の教会・伝道所に部落解放を課題とする礼拝を呼びかけている。部落解放が祈りの課題とされ、部落差別の問題に切り込む説教・聖書研究がなされ、部落差別に立ち向かう教会生活への奨励を願っている。
教団部落解放センターは、「部落解放祈りの日」パンフレットを作成し配布している。ホームページからダウンロードすることもできる。祈りの言葉や聖書箇所、讃美歌の例を紹介している。
今年は7月14日が「部落解放祈りの日」であった。この日に先んじる7月12日に教団部落解放センター主催の「部落解放祈りの日」直前礼拝が大阪の東梅田教会でささげられた。説教者である向井希夫牧師(大阪聖和教会)は、マタイによる福音書6章の「空の鳥、野の花」の箇所をとり、差別との関連において説教をした。集った参加者は30人弱で、決して多い数ではなかった。しかし、自分が主日に集う教会ではなかなか「部落解放祈りの日」礼拝がもたれないので、この教団部落解放センター主催の礼拝が参加することのできる唯一の機会、という参加者もいる。
自分の教会の中で「部落解放祈りの日」礼拝の実施への同意と協力がなかなか得られないという悩みを、信徒からも牧師からも聞く。教会生活の中心である主日礼拝の中で、部落差別の問題を取り上げることの難しさを感じる。これまでの「部落解放祈りの日」運動は、自分の教会で部落解放の祈りがささげられない悩みを抱えている信徒や牧師の声を十分に受けとめてはこなかったのではないかという反省がなされている。自分が枝として連なる教会の中で、悩み苦闘しながら部落解放の祈りを捧げようとしているキリスト者と一緒に歩んでいくことが、この祈りの運動の使命の一つである。
(樋口洋一報)
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