部落解放青年ゼミナールは、教会に連なる青年たちが部落差別問題と出会い、考え、解放に向けて共に行動することを目的とし、毎年夏に行われています。今年は8月21日から24日にかけて、京都教区錦林教会を会場に開かれました。
参加者はのべ26名と、例年に比べ少ない中での開催でしたが、その分参加者ひとりひとりの思いを聴くときが十分に持てました。
今回のテーマは「差別で現場は怒っているんだ!」です。部落差別について学び、現代の差別に怒りながら解放をめざし、行動する人々と出会う機会を考えました。
そして、出会うだけでなく「では、自分は日常でどういう時に差別するのか、されるのか」と参加者が自分自身に問うときも持ちました。
また、解放をめざした先人たちの思いを知ることも大切にしました。1日目は全国水平社創立大会の碑〜耳塚・鼻塚〜豊国神社へ、2日目は同和問題をはじめ人権問題を広く学習できる京都市人権資料展示施設ツラッティ千本へ、フィールドワークしました。
また、実行委員が担当し、部落差別入門講座や狭山事件学習会を行いました。そして、聖書を読む会では、摂津富田教会の牧師であり、釜ヶ崎医療連絡会議代表を務める大谷隆夫さんに、釜ヶ崎の抱える問題(医療、仕事、住居等)から、ご自身が感じる「怒り」を聴きました。
「怒っている人に出会い、変えられ、自分も怒る」ことを目的とした今回の青年ゼミ。私は「怒り」を「熱い思い」と言い換えました。「熱い思いを持つ人に出会い、変えられ、自分も熱い思いになる」。人が決心し、立ち上がるときの原動力は「熱い思い」です。また、その「熱い思い」を共有できる仲間の存在は大きな励みとなります。「熱い思い」を抱き、仲間と共に歩み出す。復活したイエスにエマオで出会った弟子たちの姿と重なりました。
青年ゼミをいつも憶え、支え、「熱い思い」を届けて下さっていた皆様に感謝いたします。本当にありがとうございました。
(片岡正義報)
第38総会期の第2回信仰職制委員会が、8月23日、委員7名全員の出席により、教団会議室で行われた。
委員会の開催までに届いた諮問はなかったため、前総会期の委員会から引き継いだ「教憲の学び」と「式文の扱いの検討」を取り扱うこととした。
まず前総会期最後の委員会における深谷松男委員の発題「日本基督教団教憲について」を取り上げ、発題の原稿をもとにしながら、論点の理解を深めた。
カトリック教会の教会法は神の創造の秩序に基づいて、自然法を根拠とするが、プロテスタント教会の法は、神の和解の秩序に基づいて、神の啓示としてのイエス・キリストを根拠・源泉とするという意味で、実定教会法の根源となるべき「啓示教会法(キリストから発する法・深谷委員命名)」という概念をめぐって議論を深めた。
また、各個教会の現実においては、宗教法人法に基づく規則と教会法としての規則の区別が十分に整理されておらず、責任役員会と役員会の関係が混乱している事例もあるとの指摘を受けて、教会法の理解を深めていく必要を確認した。
さらに、会議制をめぐる教団と教区、各個教会の関係の混乱、宗教法人法における「包括団体」という概念が教会法にも影響を及ぼす誤り、「教会的権能」の問題等をめぐって協議した。
式文の扱いについては、信仰職制委員会の責任において、「試用版Ⅰ・Ⅱ」が出された経緯を振り返りながら、これを今期の信仰職制委員会としてどのように受けとめていくかを協議した。かつての「式文改訂小委員会」に対して、「礼拝指針の作成」と「式文の改訂」が委ねられたことを受けとめ、今後、礼拝指針をどのように位置づけていけばよいか、各教会での「試用版」の用いられ方や評価を踏まえつつ式文をどのように改訂していけばよいか、次回の委員会においてさらに検討することとした。
次回の委員会は、来年の1月20~21日(ただし、年内に諮問が出なければ、20日のみ)に行う予定。
(東野尚志報)
「復興」「安全」がぶつかり合う中、福音による救いをもたらすため
8月19〜21日及び9月2〜4日の日程で、福島県の諸教会、幼稚園、施設等を問安した。2度の問安で、18名の教師と25の教会に問安した。教師には会えなかったが様子を見に行った教会が7教会あった。幼稚園保育園等の付属施設を7つ、その他施設を1つ、計8つの付属施設を問安した。
福島の教会で大きな課題は、放射能汚染に関することである。教師や教会員、付属施設の教師や子どもたち、保護者に大きな問題としてのしかかっている。すべての人が同じ意見ではなく、意見の違いによって諍いが生じ、人と人との間が分断されることもある。
一番の問題は、「復興」と「安全」が矛盾する形でぶつかり合うことである。「復興」を優先させれば、放射線のリスクを過小評価することになり、根拠のない「安全宣言」が広告され、多くの人を被爆させることになる。「安全」を強調すると、福島から避難することが何よりも重要な安全確保になり、人口流出に拍車をかけ、あらゆる集まりが衰退していくことになる。そして、どちらの言い分が間違っており、どちらの言い分が正しいとは簡単には言えないところに、問題の深さと大きさがある。
町の復興に欠かせないのは、何よりも人口流出を防ぐことにある。そのためには、福島に暮らしても安全であることが強調される。福島県や市町村、そして町の復興を願う地元の人たちはこの立場にある。市の担当者から保育園に「市の水道水は安全だから、子どもたちに使用するように」との通達があったことも聞かされた。この教師は個人としては水道水を利用しているが、不安を感じている保護者たちに少しでも安心してもらうために、県外のペットボトルを使用していると返答した。しかしその対応が「町の復興の妨げ」として非難されるのである。
現在教団の教会で、原発事故によって2つの教会が活動を停止している。今回の問安で小高伝道所と浪江伝道所に訪れることが出来た。小高伝道所は手続きなしに行くことが出来たが、浪江伝道所は役所にて手続きをした上で教会の前まで行った。
車を走らせながら、その光景の異様さに胸が痛くなった。町そのものはそこにあるのに、人がいない。農地は雑草でぼこぼこになっている。信号のみが動き、パトカーが巡回している。原発事故によってある日突然、町が停止して、教会も礼拝が出来なくなり、付属幼稚園も保育が停止したのである。多くの祈りと、奉仕によって設立され、主の御業を担っていた2つの教会と付属幼稚園の現実を前にして、言葉を失うしかなかった。
復興を強調する人たちの気持ちも理解できる。彼らは自分の町が衰退していくことによってどうなるかということを、目に見える形で見ることが出来るのである。だからといって、放射線汚染の被害を覆い隠すことが正しいとは言えない。このジレンマが大きな重荷として、人の間を引き裂き、その苦しみは軽くなるのではなく日々重くなっているのが福島の現実である。
今回の問安で示されたことは、教団の豊かさである。以上のような困難を前にしても、教会や保育施設、諸施設はその歩みを前進させ、苦しむ人々に寄り添い、福音によって救いをもたらそうと懸命に歩んでいる。日本基督教団には多くの賜物を持った献身者たちがおり、福島の地でイエス様の御跡をたどる歩みをしている。東日本大震災による未曾有の試練の中で、教団の教会や諸施設は、力強く主の御業をそれぞれの地で行っている。その姿を見、その声を聴くことで、各地に注がれている聖霊の働きを豊かに感じることが出来た。
私たちに求められていることは、何よりも祈ることである。福島の地で奮闘している一人一人を憶えて祈り、聖霊の働きが更に豊かにされることを祈るのである。その祈りに押し出されて、私たちは献げものを感謝して献げていきたい。教団の救援献金は確実に執行され、支援に対する感謝の声を多く聴かされた。熱い祈りと献金によって、私たちは被災地の主の御業につながることができるのである。祈りと献金による連帯こそが、この困難の前に示された、私たちの奉仕の業であること強調し、問安報告としたい。
(吉澤永報)
子供がもし電車の運転士になりたい、と言うとする。そのとき子供は、「運転士」という一般名詞を思い浮かべているのではなく、その名前が表現している働きを思い浮かべることであろう。▼電車の運転席に座っている自分、ハンドルを握っている自分を思い浮かべて、運転席から流れてゆく景色と、前方に限りが無いかのように続くレールが見られるのを生き生きと思い浮かべるに違いない。名前と働きはつながっている。▼そして、子供は大人になるにつれて、運転士の名で呼ばれるため、働きのために多くの法的な手続を必要とすることを学んでゆく。自分の夢やあこがれを実現し働きを始めるためにたくさんのことを学び、いくつもの関門を越えクリアしていかなくてはならないことを知ってゆく。▼運転士という職業が法によって守られ、また法を遵守することで自分だけでなく、何百、何千という乗客の安全を守ることを覚えてゆく。運転士という名前は単なる肩書きに終始しない。法によって守られ、はじめて働きを全うできるのであり、肩書きだけでは務めは成立しない。▼もし伝道者が肩書きだけに執着しているならば、それでは教会はたちまちに立ち行かなくなるであろう。上席を好む者は末席を与えられるのである。慢心していないか顧みなくてはならない。
顔と顔を合わせ出会うことを経験
8月19〜30日に「ユースミッション2013」の日独の教会青年交流が、神様の祝福と守りのうちに実施されました。このために多くの方々の献げ物と祈りが集められましたことに、スタッフはじめ参加ユースは大きな励ましを受けました。この紙面をお借りして心から感謝いたします。
10年以上、全国教会婦人会連合の下で続けてこられたこの交流を、伝道推進室が引き継ぐ形で、「日独教会青年交流」の計画は進められました。その計画の中では初めての者には様々な不安もありましたが、そのような不信仰な者の思いをはるかに越えて、神様はほんとうに素晴らしい時と出会いをお与え下さいました。
「ベルリン・ブランデンブルク領邦福音主義教会ヴィットシュトック・ルピン教区」のお招きを受けて、15〜22歳のユース13名と、5名のスタッフ、2名のサポートスタッフ、そして伝道推進室室長の石橋秀雄教団総会議長が参加して下さり、総勢21名のメンバーでドイツに向かいました。ベルリンより北西に100キロほど離れたヴィットシュトックや近郊の町や村でホームステイをしながら10日間の交流プログラムを経験してまいりました。
ドイツの教会が設定してくださった今回のテーマは「環境問題」でありました。テーマに基づき、バイオ農場、東経8度上にある各国の気候を体験する教育施設、風力発電所など、様々な施設を回りながら、五感によって環境問題を考える時も与えられました。またそれと同時に、2泊3日で行われた、青年キャンプにおいても、環境問題を中心とした聖書の学びがなされ、主の日の礼拝の準備をしました。
神様のお造りになった豊かなドイツの自然の只中で、聖書に聞き、キリストの福音の喜びのうちを生かされているものとして、参加者それぞれがこの問題を共有し分かち合いながら、厳しい現実と、それを憐れみまた慰めを与えてくださる神様の恵み深さを知る時も与えられました。
このテーマの背後にあることは、この交流プログラムを準備してくださったドイツの教会の方々が、東日本大震災における福島第一原子力発電所の事故に深く想いを寄せていてくださることでした。それと併せて今年の夏、日本が経験した異常な天候についての関心も持っておられることも知らされました。福島第一原子力発電所の事故から学び、原子力に電力を頼る生活を止めることを決断したドイツの教会が、放射能汚染によって痛みを負っている教会を覚えて祈っていてくださることを強く感じました。参加したユースたちには、それぞれに気づきが与えられたことであろうと思います。本当にドイツの教会がテーマに沿った、良いプログラムを準備してくださいました。
また、この交流の機会は神様と出会い、人と出会う時となりました。ヴィットシュトックの市長からお招きを受けて、市庁舎を訪ねましたが、その中で市長がこのようなことを話されました。「今は、コンピューターにより、世界の誰とでも繋がることができるようになりました。しかし、今回ヴィットシュトックという小さな町を訪ねてくださった皆さんは、コンピューターでは経験できない一つの経験をなさっています。それは顔と顔を合わせ、出会うという経験です」。
その地の空気を一緒に吸い、経験を共有し、一緒に笑い、手を取り合って祈りを共にする。これは何事にも代えがたい経験であります。
あるユースが言いました。「言葉が通じてもコミュニケーションが取れるわけではない。それとは反対に、言葉が通じなくてもコミュニケーションが取れることを知った」このような感想を持つユースがいるほどに、それぞれが良い出会いを与えられました。それを支えてくださったのは、文字通り献身的にホストファミリーとしてユースをはじめユースを引率したスタッフを家庭の中に受け入れてくださったドイツの教会員の方々です。
石橋室長が現地での聖日礼拝において今回の主題聖句であったイザヤ書65章の御言葉から「狼と小羊は草をはみ…」と記されている出来事が、ドイツと日本の国籍の違う青年が同じ御言葉をいただくことによってここで実現していると、説教で語られましたが、そういう奇跡を私たちは経験し、つぶさに見ることが許されたのです。
また日本から渡独したユースたちは、今回はじめて出会った者ばかりです。ある意味で偶然に集められたものであり、そのために最初は緊張して固かったユースたちでありましたが、旅を続ける中で信仰も親交も深められて、ほんとうに素晴らしいチームとして旅を終えることができました。
誰が最初に言い出したかわかりませんが、別れが迫ってきた後半のプログラムの中で合言葉のように「来年『教会中高生・青年大会』でまた会おう」と参加ユースたちが語り合っていたその姿に、神様の祝福の豊かさを知らされました。また伝道献身者への志が芽生えた青年が与えられたことに、神様のご計画の偉大さを思わされました。
近い段階で報告書が出ることになると思いますから詳しくはそちらに委ねたいと思いますが、ただ、最後にひとつのことをご報告したいと思います。10日間親しんだ町やホストたちと別れる時、ユースの目には光るものがありました。そのことが全てを物語っているように思います。
(山元克之報/東北教区センター)
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