6月9日午後1時30分から、富士見町教会において開催された。信徒、教師212名が出席、祝福に満ちた大会となった。
この日に至るまでの経緯を紹介しよう。全国信徒会は1941年日本基督教団創立の年の秋に組織、戦後再出発、活動途上にあって教団紛争によりその実体を失った。
以来半世紀、先人たちの祈りを受け継ぎ、39回教団総会において開催された「再結成発起人会」は再結成を決議、第1回大会開催を東京信徒会に委託した。
東京信徒会は、本大会の歴史的意義を復活とペンテコステに重ね合わせ、聖餐の恵みに与りたいと願った。伝道推進室は大会の後援を決め、藤盛勇紀牧師を礼拝式・聖餐式執行に派遣することを決めた。
プログラムは充実した内容となった。
【礼拝・聖餐】藤盛勇紀牧師(富士見町)【挨拶】望月克仁会長【来賓祝辞】石橋秀雄教団議長、山北宣久前教団議長【記念講演】阿久戸光晴牧師(滝野川)【全国信徒会総会】【記念撮影】【まじわり】
藤盛牧師は説教で、キリストと共に復活させられた者は、共に天の王座に着いた者。全国信徒会が、天から遣わされている者たちの出発として祝されるように、と語った。
祝辞は現議長と前議長。山北前議長は日本伝道150年信徒大会準備の時、初めて「日本伝道」の言葉を使って火種を起し、石橋議長は火種に油を注いで「伝道に燃える教団」にと連呼。小林貞夫氏は両議長に仕え、この日を望みつつ召された。
阿久戸牧師は「生きた石として霊の家を建てる使命-神の民の献身-」と題して語った。神の教会における信徒の重要な役割には3つある。①信徒の祭司として、②信徒の預言者として、③王の職務のお手伝いの役割。この3つに信徒がダイナミックに関わっていくときに教会が再建されると力強く結んだ。
望月会長の挨拶「復活の主と出会った婦人たちの驚きと喜びを共有し運び、信仰の一致と交わりを造り上げていきたい」と、全国信徒会発足の願いとした。(鈴木功男報)
上野 淳氏(隠退教師)
15年4月7日逝去、88歳。京都府に生まれる。54年同志社大学大学院卒業。同年より幌泉、稚内、江別教会を経て96年に隠退。
遺族は妻・上野宏子さん。
大野かをる氏(隠退教師)
15年4月5日逝去、91歳。広島県に生まれる。60年関西学院大学大学院卒業。同年より関西学院、活水学院で務め、三原、香貫教会を経て93年に隠退。
遺族は息・大野幸さん。
井上良彦氏(隠退教師)
15年5月25日逝去、86歳。大阪府に生まれる。53年日本基督教神学専門学校卒業、翌年より尾張一宮、若草、桜木教会を牧会し、活水学院に勤務。95年より河内長野教会を牧会した後、北陸学院短期大学に務め、07年に隠退。
遺族は妻・井上頴子さん。
扇田幹夫氏(隠退教師)
15年4月22日逝去、77歳。秋田県に生まれる。63年同志社大学大学院卒業。同年より平安教会を牧会し、69年より神戸女学院に務め、03年に隠退。
遺族は妻・扇田紀子さん。
太田光夫氏(七里教会主任担任教師)
15年4月30日逝去、64歳。茨城県に生まれる。91年受允、93年受按。91年より東梅田、多度津、丸岡、水海道を経て七里教会を牧会。
遺族は妻・太田玲子さん。
第14回アジアキリスト教協議会(CCA)の総会がインドネシアのジャカルタで5月20日~27日に亘り開催された。参加教会はインドからオーストラリアまでおよそ100教会。約20の関連団体を合わせた正議員は約350名。メディア担当やスチュワード等合わせると700名ほどの規模の会議であった。
主題は「神の家族として共に生きる」。プログラムは非常に良く準備されたものであった。礼拝は様々な楽器が用いられ豊かな讃美がささげられた。朝は小グループに分かれてバイブルスタディーから始まるが、発表は丁寧に準備されていた。本会議ではアジアの多様性を示す意見が続出した。例えばISIL、人身売買、中国の軍事的脅威、HIV/エイズなどである。
これらの課題はインドネシア語で「サラセアム」(ディスカッションの意味)と名付けられた14の小グループ会議でテーマ別に議論され、本会議でのレポーターによる発表を経て今後5年間のCCAが向き合うべき課題として承認される。
問題点を2点挙げざるを得ない。第一は本会議で初めてCCC(チャイナ・クリスチャン・カウンシル)の挨拶を受けたことである。かつて台湾基督長老教会は、WCCで中国からその名称を「The Presby-terian Church in Tai-wan」から「The Pres-byterian Church in Taiwan, China」に変更するようにとの発言を受け、WCCからの脱退を一度は決意するに至った。5年先同じことが起きた時、日本基督教団も一つの決断を迫られることになる。
第二は議長団を含めた中央委員の選出に疑義が出たことである。システムは前もって各国から推薦者を選考委員会に出し、選考委員会が決めた人物を本会議が承認するやり方である。今回は選考委員会の選考に、重要なポストに一定の国が集中する偏りがあるとして、殆ど全会一致で否決され、翌日の最終日に再提出し可決されるというものであった。
CCAの存在意義は大きい。それは本気でアジアの教会が抱える問題に命をかけてでも取り組んでもらいたい、という切なる期待があるからである。(加藤 誠報)
世の人々の中に通信士と呼ばれる人々がいる。通信士こそ、おのずからの中に信仰生活の素養を備えさせられる仕事は少ない。神と人とを結ぶ唯一本の線、それはイエス・キリストでもある。しかもその線は極めて細い。線の彼方から送られてくる符号、それは神と人との間に約束された御言葉であって、その一言一言を全く信じるのでなかったならば、彼方の世界のことは何一つ知ることは得ない。そこにはただ、『僕聞く、主よ語り給え』という柔順な、そして真剣な僕の姿あるのみ。やがて聞き取った御言葉は、内に保留のなし得ない伝道へと進み、しかもその御言葉に、誤謬は許されないのである」。若き日の福岡さんは、語る。〔1950年当初の教会報〕
福岡恒忠さんは終戦の年、逓信省の講習所へ入所、翌年からトンツーの通信士として郵便局に勤務。その後、40年間NTTに勤続した。若き青年の頃、戦後の精神的空虚感から求道、北陸学院におけるキリスト教の講演会に出席し、教会へ導かれる。1948年10月3日、日本基督教団白銀教会にて洗礼を受ける。この日は、当時の日本基督教団における「青年の日」。以来、教会役員として52年間、CS教師として39年間、ひたすら主に仕えてきた。1977年、福岡さんは斉藤友紀雄牧師から「東京いのちの電話」の働きを聞き、心を動かされる。
その翌年、現・公益社団法人「金沢こころの電話」を知り、37年間、ボランティアとして心の悩みを聞き続けてきた。電話の相手を、主から送られてきた隣人と思い傾聴に心がけ、現在もその働きは継続している。また、教会生活において白銀教会百年史の編集長を担い、自身が大事に保管してきたアルバム26冊分の写真、教会に通い始めた頃から保存してきた週報が用いられたことが喜びだったという。
福岡さんはまさに教会において、社会において、一人の信仰者として主イエス・キリストへのホットラインを繋ぎ続けてきたのである。
1930年、金沢で生まれる。67年間、白銀教会員。
36:33 主なる神はこう言われる。わたしがお前たちをすべての罪から清める日に、わたしは町々に人を住まわせ、廃虚を建て直す。
36:34 荒れ果てた地、そこを通るすべての人に荒れ地と見えていた土地が耕されるようになる。
36:35 そのとき人々は、『荒れ果てていたこの土地がエデンの園のようになった。荒れ果て破壊されて廃虚となった町々が、城壁のある人の住む町になった』と言う。
36:36 お前たちの周囲に残された国々も、主であるわたしがこの破壊された所を建て直し、荒れ果てていたところに植物を植えたことを知るようになる。主であるわたしが、これを語り、これを行う。
36:37 主なる神はこう言われる。わたしは、再びイスラエルの家の願いを受け入れ、彼らのために行う。わたしは彼らの人口を羊の群れのように増やす。
36:38 祭りの時に、エルサレムが聖別された羊で満ち溢れるように、廃虚であった町々は人の群れで満たされる。そのとき、彼らはわたしが主なる神であることを知るようになる。」
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