インスタグラムアイコンツイッターアイコンyoutubeアイコンメールアイコン
日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
calendar

ホセア書2・4~17

2015年1月27日

2:4 告発せよ、お前たちの母を告発せよ。彼女はもはやわたしの妻ではなく/わたしは彼女の夫ではない。彼女の顔から淫行を/乳房の間から姦淫を取り除かせよ。
2:5 さもなければ、わたしが衣をはぎ取って裸にし/生まれた日の姿にして、さらしものにする。また、彼女を荒れ野のように/乾いた地のように干上がらせ/彼女を渇きで死なせる。
2:6 わたしはその子らを憐れまない。淫行による子らだから。
2:7 その母は淫行にふけり/彼らを身ごもった者は恥ずべきことを行った。彼女は言う。「愛人たちについて行こう。パンと水、羊毛と麻/オリーブ油と飲み物をくれるのは彼らだ。」
2:8 それゆえ、わたしは彼女の行く道を茨でふさぎ/石垣で遮り/道を見いだせないようにする。
2:9 彼女は愛人の後を追っても追いつけず/尋ね求めても見いだせない。そのとき、彼女は言う。「初めの夫のもとに帰ろう/あのときは、今よりも幸せだった」と。
2:10 彼女は知らないのだ。穀物、新しい酒、オリーブ油を与え/バアル像を造った金銀を、豊かに得させたのは/わたしだということを。
2:11 それゆえ、わたしは刈り入れのときに穀物を/取り入れのときに新しい酒を取り戻す。また、彼女の裸を覆っている/わたしの羊毛と麻とを奪い取る。
2:12 こうして、彼女の恥を愛人たちの目の前にさらす。この手から彼女を救い出す者はだれもない。
2:13 わたしは彼女の楽しみをすべて絶ち/祭り、新月祭、安息日などの祝いを/すべてやめさせる。
2:14 また、彼女のぶどうといちじくの園を荒らす。「これは愛人たちの贈り物だ」と/彼女は言っているが/わたしはそれを茂みに変え/野の獣がそれを食い荒らす。
2:15 バアルを祝って過ごした日々について/わたしは彼女を罰する。彼女はバアルに香をたき/鼻輪や首飾りで身を飾り/愛人の後について行き/わたしを忘れ去った、と主は言われる。
2:16 それゆえ、わたしは彼女をいざなって/荒れ野に導き、その心に語りかけよう。
2:17 そのところで、わたしはぶどう園を与え/アコル(苦悩)の谷を希望の門として与える。そこで、彼女はわたしにこたえる。おとめであったとき/エジプトの地から上ってきた日のように。

2015年1月26日

シリアで拘束されている日本人の解放と

シリアの平和のために祈る会のお知らせ

平和の主イエス・キリストの御名を賛美いたします。

ニュース他で報道されていますように、現在シリアにおいて、「イスラム国」により後藤健二さん(日本基督教団田園調布教会員)と湯川遥菜さんが拘束されております。日本国政府を中心に情報の収集と救出がはかられていますが、未だ安否の確認がとれていません。

この緊急事態に際し、お二人が無事に帰国されることとシリアの平和を願い、以下のように祈祷会を開催いたします。お集まりになれる方はぜひおいでください。(事態に変化があっても開催します)

また、各教会・伝道所におかれましても、共に祈りを合わせてくださるようお願いいたします。

日 時 2015年1月29日(木)14時

場 所 日本基督教団 富士見町教会 礼拝堂

℡ 03-3261-0633

*JR・地下鉄飯田橋駅下車徒歩5分

2015年1月26日

日本基督教団総会議長 石橋 秀雄

1:1 ユダの王、ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代、イスラエルの王ヨアシュの子ヤロブアムの時代に、ベエリの子ホセアに臨んだ主の言葉。
1:2 主がホセアに語られたことの初め。主はホセアに言われた。「行け、淫行の女をめとり/淫行による子らを受け入れよ。この国は主から離れ、淫行にふけっているからだ。」
1:3 彼は行って、ディブライムの娘ゴメルをめとった。彼女は身ごもり、男の子を産んだ。
1:4 主は彼に言われた。「その子をイズレエルと名付けよ。間もなく、わたしはイエフの王家に/イズレエルにおける流血の罰を下し/イスラエルの家におけるその支配を絶つ。
1:5 その日が来ると/イズレエルの平野で/わたしはイスラエルの弓を折る。」
1:6 彼女は再び身ごもり、女の子を産んだ。主は彼に言われた。「その子を/ロ・ルハマ(憐れまれぬ者)と名付けよ。わたしは、もはやイスラエルの家を憐れまず/彼らを決して赦さないからだ。
1:7 だが、ユダの家には憐れみをかけ/彼らの神なる主として、わたしは彼らを救う。弓、剣、戦い、馬、騎兵によって/救うのではない。」
1:8 彼女はロ・ルハマを乳離れさせると、また身ごもって、男の子を産んだ。
1:9 主は言われた。「その子を/ロ・アンミ(わが民でない者)と名付けよ。あなたたちはわたしの民ではなく/わたしはあなたたちの神ではないからだ。」
2:1 イスラエルの人々は、その数を増し/海の砂のようになり/量ることも、数えることもできなくなる。彼らは/「あなたたちは、ロ・アンミ(わが民でない者)」と/言われるかわりに/「生ける神の子ら」と言われるようになる。
2:2 ユダの人々とイスラエルの人々は/ひとつに集められ/一人の頭を立てて、その地から上って来る。イズレエルの日は栄光に満たされる。
2:3 あなたたちは兄弟に向かって/「アンミ(わが民)」と言え。あなたたちは姉妹に向かって/「ルハマ(憐れまれる者)」と言え。

2015年1月25日

4:16 イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。
4:17 預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。
4:18 「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、/主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、/捕らわれている人に解放を、/目の見えない人に視力の回復を告げ、/圧迫されている人を自由にし、
4:19 主の恵みの年を告げるためである。」
4:20 イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。
4:21 そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。
4:22 皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。「この人はヨセフの子ではないか。」
4:23 イエスは言われた。「きっと、あなたがたは、『医者よ、自分自身を治せ』ということわざを引いて、『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ』と言うにちがいない。」
4:24 そして、言われた。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。
4:25 確かに言っておく。エリヤの時代に三年六か月の間、雨が降らず、その地方一帯に大飢饉が起こったとき、イスラエルには多くのやもめがいたが、
4:26 エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた。
4:27 また、預言者エリシャの時代に、イスラエルには重い皮膚病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった。」
4:28 これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、
4:29 総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。
4:30 しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた。

2015年1月24日

わたしたちは神のために力を合わせて働く者であり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです。 《コリントの信徒への手紙一3章9節》

礼拝が奇跡

 わたしが尊敬する伝道者の講演を聞いた。その講演の中で「礼拝が奇跡だ」と語られた言葉が心に残っている。教会の紛争の中で赴任した伝道者の「礼拝が奇跡だ」との言葉に感動した。

 どのように激しく対立していても礼拝を重んじる信徒たちだ。

 一般社会では激しく対立する者同士が共に座ることは出来ない。しかし、どのように激しく対立していても礼拝共同体だ。

 「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び」。「礼拝で慰められ、礼拝で教会が整えられて行った」。だから礼拝が奇跡だとの講演者の言葉が心に残る。

「神の畑」

「あなたがたは神の畑、神の建物なのです」。
(コリントの信徒への手紙一3章9節)

 わたしたちの教会は「神の畑」なのだ。このパウロの言葉に励まされる。

 神の畑、神が働いてくださる畑がどのような畑であるかということは、記されていない。

 わたしたちの教会はどのような畑であるのだろうか。良い畑であるか、それとも荒れ果てた畑であるのだろうか。

 神の前に荒れ果てた畑であるかもしれない。しかし、荒れ果てた畑であっても、神の畑であり、神が働いてくださる畑だ。

信徒に育てられる

 1970年に神学校を卒業して、今年45年目を迎える。

 昨年の10月、最初の赴任地、鴻巣教会の礼拝に招かれた。現在、精力的に鴻巣教会を伝道牧会をされる川添三郎牧師と教会員の方々との楽しい交わりの時が与えられた。

 鴻巣教会と越谷教会と二つの教会に仕えてきた伝道者生活は、信徒に養われる年月だった。

 越谷教会の信徒は外に出ると「うちの教会の牧師がご迷惑をおかけしています」と謝罪する。「嬉しいのか悲しいのか」。しかし、わたしの欠点を知り尽した上で、支えてくれる信徒たちによってわたしは育てられてきた。

荒れ果てた教会?

 神学校卒業の年、学長から埼玉の鴻巣教会が紹介された。

 大宮教会で育ったわたしの恩師は谷川真海牧師だ。

 谷川先生に「学長から鴻巣教会が紹介された」と相談すると、わたしのことを思って、「鴻巣教会、あそこは大変な教会だ。まず、2、3年頑張りなさい」と話された。

 確かに、この小さな教会は裁判問題をかかえて苦しむ教会であり、外から見ると「荒れ果てた畑」に見えた。しかし、赴任して、内に入ると、「良い畑」の教会であった。

 この教会は、「礼拝なしには自分の生活は成り立たない」という信仰を持った信徒の多い教会であった。

 今回、鴻巣教会に招かれ、交わりの時間に斉藤安三さんの話題になった。43年前、鴻巣教会に赴任して最初に受洗した姉妹が「あの礼拝姿勢に感動し受洗の決心をした」と話された。

 彼は塾を経営していた。塾に来る生徒や父母に「教会に行こう」と声をかけ続けた。受洗へと導かれた者もいたが、しかし、多くの者は2、3回来て来なくなる。

 「おかしいなー、教会はこんなに楽しいのに何故、来なくなるのかなー」と口癖のように言っていた。

 わたしが徹夜で説教の準備をし、フラフラしながらレポート用紙11枚を早口で15分で説教する。この礼拝が楽しいという。信じられない斉藤さんの言葉だ。

 寒い2月の礼拝の日、斉藤さんは礼拝後、ストーブの側の椅子に座り「足がこんなにむくんじゃったよ」と足を見せてくれた。「ドキッ」とした。

 その日、教会から5分くらいの自宅から自転車に寄りかかりながら、休み休み30分かけて礼拝に来た。しかも礼拝に遅刻しなかった。

 その週の水曜日に斉藤さんは召された。

 「礼拝が楽しい」、だから死が近い、とうてい外に出られない身体で教会の礼拝に出席した。

 生ける主に出会い、復活の命を頂いて生きることができ、その礼拝が楽しいという斉藤さん。この信徒の礼拝姿勢に感動して、あの姉妹は受洗を決心した。

 裁判問題で苦しむ教会?

 裁判問題で苦しみ、慌てふためき、右往左往したのはわたしだけだった。

 命の不安、生活上の問題、教会が直面する問題がある。

 しかし、その中心に礼拝がある。「礼拝で慰められ、礼拝で全ての問題が、整えられていく」。まさに「礼拝が奇跡だ」。

 礼拝共同体、この神の畑に神が働いてくださる。

 神学校出たて青二才の伝道者であるわたしは、礼拝の重さを信徒から教えられ、そして、礼拝なしには自分の生活は成り立たないと生活の中心に礼拝を据える信徒と共に礼拝を献げ、礼拝に仕える中で、伝道者として育てられてきた。

最初の確信を確認し続ける

 「あなたがたは神の畑、神の建物なのです」。

 荒れ果てた畑であっても、神がそこに働き、神の建物としてくださり、そこに主が住んでくださる。

 この建物に組み入れられたわたしの最初の一年は、裁判に翻弄され、自分の脆さと弱さをさらけ出す年であった。

 しかし、「キリストの力が弱さの中に宿る」(二コリント12・9)を深く味わい知らされる最初の一年であった。

 神の畑である教会、荒れ果てた畑であっても、その畑に働いて「神の建物」としてくださる。

 それゆえに「聖なる公同の教会を信ず」との告白に導かれる。

 「聖なる公同の教会を信ず」との告白をする時、克服し得ない問題はないとの確信を最初の一年目に与えられた。

 その最初の確信を確認し続ける45年の伝道者の歩みであった。そして、この確信を確認する主の恵みの内に、新しい一年の歩みが備えられている。(第39総会期教団総会議長・越谷教会牧師)

PageTOP
日本基督教団 
〒169-0051 東京都新宿区西早稲田2-3-18-31
Copyright (c) 2007-2025
The United Church of Christ in Japan