大学生の頃、選挙でいわゆるウグイス嬢をしたことがある。幼稚園の友人の父親が区議選に出た。文房具店を営む候補の家に幼小時代よく遊びに行き、おしゃべりなので私はキャー子と呼ばれた。選対本部から地域の課題や候補が伝えたい内容が資料として渡される。自己宣伝は苦手だが他者のことを伝えるのは楽しかった。次は衆議院選挙。渋谷のスクランブル交差点近くで選挙カーの上で運動員として手を振っていた。候補の到着が遅れている。応援弁士が交代しながら場を繋いでいたが小声で(もう持たない。代わって)。仕方なくマイクを握った。下から視線を感じた。教会の高校生。礼拝後「アミ姉やってんな(笑)楽しそうだった」と言われた。政治や経済、社会現象。多様な考えがあり人それぞれ。意見を尊重しながら責任あるあらゆる立場の方が適切な判断ができるよう主の導きを祈る。
誰もがアーメンと共に言う普遍性を持つ祈り。救い主に出会ってほしいとの願いもその一つ。教会が様々な人にとっての一時の逃れの場所に留まらず、洗礼を受けて主が永遠に共にいることでどこへ行こうと失われない安心を与えられる恵みがある。聖霊の導きにより救われる道、イエスさまを伝えるとき。主の助けによりこれが一番楽しそうに見えるはず。
マイクがあろうとなかろうと。
(教団総幹事 網中彰子)
機構改定等、課題に具体的に取り 組む総会期に
第43回教団総会が10月29~31日、ホテルメトロポリタンで、開会時、議員総数400名中367名の出席で開催された。
冒頭、雲然俊美議長が挨拶し、沖縄教区からの議員がいないことを痛みに覚えると告げると共に、前総会で選出できず、常議員会で選出した網中彰子総幹事を紹介した。網中総幹事は、「全ての教会、伝道所の礼拝が祝福され、平安の内に礼拝を捧げ続けて行けるよう力を注いで行きたい」と挨拶した。
議事日程承認の中で雲然議長が、北村慈郎教師の戒規についての再検討を求める2議案について、教憲教規に再検討を可能とする規定がないこと、再検討をした場合、審判委員会での決定を最終決定とする施行細則と齟齬を来すこと、上程した場合、前例となり、教団の活動の混乱が予想されること等を理由に上程できないことを告げた。「公正、中立でなければ、やり直さなければならない」等の反対意見がある一方、「審判委員会の決定後、常議員会、教団総会にも諮られており、これを超えて議案を上程することはできない」等の賛成意見があった。「全ての議案を上程する」との動議が出され、364名中166名の賛成で否決、原案を200名の賛成で可決した。
議長報告に対する協議では、機構改定について、今総会で審議するのが全体教会としての一体性の確認だけとなっている状況に対する議長の意見が求められ、雲然議長は、機構改定と切り離して財政削減に取り組んでいること、機構改定については、危機感は共有したが理解は深められなかったことを説明した。沖縄教区との関係に対する取り組みが問われ、雲然議長は、「教区にも人格のようなものがあり、子細に報告できないこともある」と告げ、理解を求めた。福島原発の核事故と核の脅威に対する教団としての姿勢が問われ、雲然議長は、東日本大震災以降、3回出された議長声明を受け継いでいること、昨今は核兵器が使用されかねない状況や海洋汚染等の新たな課題が生じていることを述べ、「教団としての在り方を議論して行きたい」と述べた。
総幹事報告で、網中総幹事が、2008年に発表された、教団50年データに基づく予測の通りに教勢が低下していることを指摘し、「経費削減は目標を達成している。DX化(デジタル技術による効率化)等により更なる削減を進める」と述べた。協議では、全ての教師に、ハラスメントに関する講習をすることを求める意見があった。
(新報編集部報)
三役再選、選挙方法について協議
諸報告がなされた後、順次、教団三役、常議員選挙が行われた。
教団議長選挙においては、予備選挙を行わず本投票で選挙することが提案された。これに対し予備選挙を行い、上位5名が所信表明を行った上で本選を行うとの修正動議が出された。363名中132名の賛成で否決、原案を賛成多数で可決した。議長選挙では、1回目の投票で雲然俊美議長が再選された。
雲然俊美 205票
久世そらち 145票
(投票総数364票、無効3票)
雲然議長は、「神の御心と信じ受け止め、地方教会、小規模教会には大きな喜びがあるということを伝えながら仕えて行きたい。機構改定、出版局の課題を優先して取り組みたい。各地の教会、伝道所、学校、団体、施設、それぞれの働きに仕え、互いに仕え合うキリストの体なる教会となることを願う」と挨拶した。
副議長選挙では、1回目の投票で藤盛勇紀副議長が再選された。
藤盛勇紀 198票
久世そらち 151票
(投票総数366、無効2票)
藤盛副議長は、「『一期だけ』と囁きながら歩んで来たが、教団の課題に取り掛かったところであることを踏まえ、もう一期、議長を支えて、取り組んで行きたい」と述べた。
書記選挙については、議長・副議長の合議により、黒田若雄書記が推薦され、議場は承認した。
黒田書記は、「少子高齢化、人口減少が激しい高知県で牧師をしている。地方教区の思いが教団の中に伝わることも意味があると思い仕えて行きたい。2年前の高知教会長老会の『私たちも覚悟を決めましょう』との言葉が心にある。教会の祈りに支えられて2年間励みたい」と述べた。
常議員選挙では、予備投票を行わず、全数連記の投票で選出することが提案された。この議案と共に、今井牧夫議員が35名の賛同者と共に提案した、常議員選挙を半数連記(信徒、教師共に7名連記)で行う議案を協議した。
今井議員が提案理由の中で、教団総会が二つに割れ、互いに相手の意見に耳を傾けない状況があり、主イエスを中心とする教会の交わりとなっていないことを指摘、「お互いに対する敵意が満ちていることこそが教団問題」と述べた。
教団の歴史の中で制限選挙が信仰の秩序の混乱や放漫な財政を招いた、信仰による一致がないままに半数連記をすべきではない等の反対意見がある一方、全部を自分たちの意志で選ぼうとするのは傲慢であり、神の御心を尋ね求めるならば、手を放すべき等の賛成意見があった。
368名中165名の賛成で否決、原案を賛成多数で可決した。
(新報編集部報)

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20カ国から47名が参加
9月13〜14日、「ベルリン宣教会創立200周年(200 Years Berlin Mission)」を祝う会議が、ドイツ・ベルリン市の宣教会本部を会場に、「義の実は、平和をもたらす人たちによって平和のうちに蒔かれる」(ヤコブ3・18)の聖句を掲げて開催された。
協力関係にある教会からは、アフリカ、全欧州、パレスチナ、インドと東北アジア、北中米の20カ国から47名が参加し、私は日本基督教団を代表した。これに加えてドイツの関連教区から9名の代表者が、ベルリン宣教会およびゴスナ宣教会から14名の牧師たちが、そして9カ国から13名のボランティアが会議を支えた。
ベルリン教区監督のU・トラウトヴァイン牧師によるキーノートスピーチでは、社会が二極化する中で教会は立場の異なる人々を「橋渡し」する役割を担うこと、移民たちが平和の証人である限り彼らの異なる信仰を尊重すること、また世俗化と過疎化が進行する環境にあって、教会共同体の新しいあり方を通して社会正義を模索することなどが語られた。シンポジウムでは米国、南アフリカ、聖地とヨルダン、ポーランド、韓国の代表者たちが、キリスト教宣教と脱植民地化の課題について多角的に論じた。参加型のワークショップでは「地域」別と「主題」別のものが開かれた。後者について、私は「多様性と差別」に参加した。会議と展示を通して、西欧型のキリスト教宣教が各地で多様な様相を示し、それゆえ「脱植民地化」の課題もまた複雑であることを再認識した。
宿泊先はボンヘッファー・ホテルであった。1989年11月、ベルリンの壁が落ちた後、旧東独の共産党政権と民主化勢力が、教会指導者の司会のもと、最初の民主的選挙を行うための「円卓」会議を開いた場所である。会議前夜にはC・シュテープライン監督主催の晩餐会に招かれ、会議後の主日には、秋葉=クレーマー睦子牧師が働くベルリン日本語教会を訪ねて説教奉仕を行った。
(廣石 望報)
さて、使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた。イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。そのうち、時もだいぶたったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちました。人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう。」 これに対してイエスは、「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」とお答えになった。弟子たちは、「わたしたちが二百デナリオンものパンを買って来て、みんなに食べさせるのですか」と言った。イエスは言われた。「パンは幾つあるのか。見て来なさい。」弟子たちは確かめて来て、言った。「五つあります。それに魚が二匹です。」そこで、イエスは弟子たちに、皆を組に分けて、青草の上に座らせるようにお命じになった。 人々は、百人、五十人ずつまとまって腰を下ろした。イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆に分配された。すべての人が食べて満腹した。そして、パンの屑と魚の残りを集めると、十二の籠にいっぱいになった。パンを食べた人は男が五千人であった。
イエスの名が知れ渡ったので、ヘロデ王の耳にも入った。人々は言っていた。「洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」そのほかにも、「彼はエリヤだ」と言う人もいれば、「昔の預言者のような預言者だ」と言う人もいた。ところが、ヘロデはこれを聞いて、「わたしが首をはねたあのヨハネが、生き返ったのだ」と言った。実は、ヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚しており、そのことで人をやってヨハネを捕らえさせ、牢につないでいた。ヨハネが、「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。そこで、ヘロディアはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。なぜなら、ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからである。ところが、良い機会が訪れた。ヘロデが、自分の誕生日の祝いに高官や将校、ガリラヤの有力者などを招いて宴会を催すと、ヘロディアの娘が入って来て踊りをおどり、ヘロデとその客を喜ばせた。そこで、王は少女に、「欲しいものがあれば何でも言いなさい。お前にやろう」と言い、更に、「お前が願うなら、この国の半分でもやろう」と固く誓ったのである。少女が座を外して、母親に、「何を願いましょうか」と言うと、母親は、「洗礼者ヨハネの首を」と言った。早速、少女は大急ぎで王のところに行き、「今すぐに洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます」と願った。王は非常に心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、少女の願いを退けたくなかった。そこで、王は衛兵を遣わし、ヨハネの首を持って来るようにと命じた。衛兵は出て行き、牢の中でヨハネの首をはね、盆に載せて持って来て少女に渡し、少女はそれを母親に渡した。ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、やって来て、遺体を引き取り、墓に納めた。
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