兄弟たち、万一だれかが不注意にも何かの罪に陥ったなら、“霊”に導かれて生きているあなたがたは、そういう人を柔和な心で正しい道に立ち帰らせなさい。あなた自身も誘惑されないように、自分に気をつけなさい。互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。実際には何者でもないのに、自分をひとかどの者だと思う人がいるなら、その人は自分自身を欺いています。各自で、自分の行いを吟味してみなさい。そうすれば、自分に対してだけは誇れるとしても、他人に対しては誇ることができないでしょう。めいめいが、自分の重荷を担うべきです。御言葉を教えてもらう人は、教えてくれる人と持ち物をすべて分かち合いなさい。思い違いをしてはいけません。神は、人から侮られることはありません。人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります。たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります。ですから、今、時のある間に、すべての人に対して、特に信仰によって家族になった人々に対して、善を行いましょう。
神の導く希望の岸へ
黒田 若雄(高知教会牧師)
人々は長い間、食事をとっていなかった。そのとき、パウロは彼らの中に立って言った。「皆さん、わたしの言ったとおりに、クレタ島から船出していなければ、こんな危険や損失を避けられたにちがいありません。しかし今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです。わたしが仕え、礼拝している神からの天使が昨夜わたしのそばに立って、こう言われました。『パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。』ですから、皆さん、元気を出しなさい。わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります。わたしたちは、必ずどこかの島に打ち上げられるはずです。」(使徒言行録27章21〜26節)
嵐の中で希望を持ち立ち上がる
パウロは、危険な考えを広めているとの嫌疑で逮捕され、ローマまで船で護送されることになりました。順調とは言えない航海が続きますが、ようやくクレタ島に到着することが出来ました。しかし、既に航海には適さない冬に入っていました。それにもかかわらず、船は出航することになったのです。
この選択は、必ずしも間違いとは言えないものでした。今いる港は冬を越すには適当ではなく、しかも、航海に最適と思える風が吹いてきたからです。この時との思いで出航しますが、その後、嵐に襲われます。ですから、乗船している人たちにとって、予想外の事態でした。船員たちは、船を軽くするために、積み荷や船具を捨てます。この嵐の中で最大限の努力をします。しかし、何日も続く嵐の中で、多くの人たちは、助かる望みないのではないかと思っていました。
ところが、その状況の中で、パウロが立ち上がって言います。「元気を出しなさい」と。そして、食事をすることを勧めます。パウロのこの声は、混乱に飲み込まれていた船に、ある落ち着きを与えました。そして、嵐の中を進んでいく大きな力となりました。
誰もがこの時のパウロの姿が心に残りますが、自分に置き替えればどうでしょうか。私たちも、人生の歩みの中で思いもしない現実の中に立たされることがあります。嵐はやむのか、どこに向かっていくのか分からない、そんな中に立った時に、パウロのように希望を持ち立ち上がっていくことが出来るだろうかと思います。パウロだからそう歩むことが出来たけれども、自分には無理ではないかと思ってしまうように思います。しかし、その受け止め方は、本当に正しいでしょうか。
必ず実現する神の計画
パウロは、この船の中でただ一人希望を持ち続けられたのでしょうか。そうではありませんでした。「ついに助かる望みは全く消えうせようとしていた」の「助かる望み」は、聖書の元の言葉に遡ると「私たちの助かる望み」とあります。つまり、助かる望みはなくなったのではないかと思っているのは、使徒言行録を記すルカだけではありませんでした。ルカが使徒言行録で「私たち」と表現する際には、パウロを含めて「私たち」と言います。ですから、ここでの「助かる望みはないのでは」との思いは、ルカだけではなく、パウロの思いでもあったのです。パウロもまた絶望の中にいました。
しかし、そのパウロは立ち上がります。パウロが立ち上がることには、大きな理由がありました。パウロが皆に「元気を出しなさい」と言う前夜、神からの使いが「恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない」と語りかけます。神からの使いの言葉ですから、神からの言葉なのです。パウロは、その言葉を通して、嵐の先に神が備えられた道があることを示されました。
注目したいのは、パウロに神が示されたのは、嵐を乗り越えていけるような処方箋のようなものではありませんでした。示されたことはただ一つです。「皇帝の前に出頭する」、つまり、自分たちが神の計画の中に置かれていることです。「私はあなたに対して計画を持ち、それを必ず実現する」と、神はパウロに示されました。この神の言葉によって、パウロは直面している現実の先を望み見ることが出来たのです。そして、その後、ある岸へと打ち上げられることになりました。
神の導く恵みの船路を進む教会
今、日本の教会は厳しい状況の中に立たされていると言われます。日本のほとんどの教会がこの少子高齢化という現実の中に置かれているとすれば、それは神からの問いかけであり、神はこの現実を通して、教会に大切なものを示そうとしておられるのではないかと思うのです。大切なもの、それは、教会を真に導くのは神であることです。
高知教会は、1885年に設立されました。東京や大阪から遠く離れた、人口も多くない地域で、伝道の可能性が高いようには思えなかったはずです。しかし、高知での伝道の歩みは、携わった人たちの思いを超えて進みました。ある宣教師は本国に送った手紙の中で、「高知で行った伝道を他の地域で実行しようとしたが、不可能だった」と書いています。つまり、唯一無二の伝道が、この高知で進められました。当時の感覚で言えば、「中央」から離れた地方において起こった伝道の展開を、宣教師は驚きを持って受け止めました。そうして高知教会は歩み始め、神によって導かれ、140年の歩みを重ねてきました。これは、高知教会だけの姿ではなく、それぞれの教会の姿であることを思います。
それぞれの教会は、今まで導かれて歩んできました。それならばこれから先の歩みはどうなるでしょうか。この船のように、嵐に巻き込まれる時もあるでしょう。その時、自分たちの力で展望を見出して進んでいくのではないのです。嵐に遭っても、必ず打ち上げられる岸があることを忘れずに歩むのです。その岸は、私たちが思う岸とは違うかもしれません。しかし、神が導かれる以上、それは希望の岸なのです。
そして、教会が嵐に見える現実の中を歩んで行くために、神は、私たちに大切なものを与えてくださっています。言葉、それも語りかけられる言葉です。厳しい状況の中で、神が私たちに語り続けてくださるのです。そうして、私たちは聞かされる。神の御声に聞く時に、先行きを見通せない現実の中で、神の将来を望み見て進むことができるのです。そして、思いもしない岸に打ち上げられる経験をし、神の御業の豊かさを知らされるのです。教会は、これまでこうして歩んできましたし、これからも歩んでいくのです。教会という船は、神の導く恵みの船路を進み続けていくのです。
教師逝去
岩井従男(無任所教師)
21年9月19日逝去、94歳、香川県生まれ。60年受允、64年受按。61年より土佐福音、姫路福音、脇町兄弟教会を80年まで牧会。遺族は娘・多田みどりさん。
林 正史(無任所教師)
23年12月26日逝去、64歳。愛知県生まれ。97年農村伝道神学校卒業、同年より00年まで中標津伝道所を牧会。遺族は姪・辻望美さん。
中島 豊(隠退教師)
25年1月24日逝去、86歳。朝鮮釜山府生まれ。64年東京聖書学校卒業、同年より仙台青葉荘教会を牧会し、04年隠退。遺族は妻・中島和子さん。
伊藤秀美(隠退教師)
24年9月25日逝去、89歳。東京都生まれ。63年米国ウェスレー神学校大学院終了、64年より豊分教会を牧会し、69年よりアメリカ合衆国の教会に赴任し、マヒアワ合同メソジスト教会を経て03年隠退。遺族は妻・伊藤笙子さん。
佐野英二(隠退教師)
25年1月29日逝去、83歳。静岡県生まれ。67年東京神学大学大学院修了、同年より西新井、安藤記念教会を牧会し、16年隠退。遺族は妻・佐野恒子さん。
山本英夫(無任所教師)
25年2月11日逝去、72歳。東京都生まれ。85年日本聖書神学校卒業、86年より98年まで境港教会を牧会。遺族は妻・山本潤子さん。
加藤 満(隠退教師)
25年2月15日逝去、97歳。広島県生まれ。54年日本基督教神学専門学校卒業、56年より大島、徳山教会を牧会し、11年隠退。遺族は娘・上田めぐみさん。
牧師になってから初めて出席した同窓会で、会場に入るなり「皆〜私たちは何があっても大丈夫〜アミを神さまにお捧げしたから〜!」との声。「あのね、一人捧げると全員救われる仕組みじゃないから」「そうなの?(笑)」そんな彼女は、私が不定期で説教奉仕をしていた教会のクリスマス・イヴ礼拝に2回出席してくれた。讃美歌を聴くと色々想い出がよみがえるという。同窓会を短い礼拝から始めたいと頼まれたので終わりに「では久しぶりの方もいるでしょうが、お祈りしますので『その通りです』という意味のアーメンと言ってください」と伝えて祈った。「懐かし〜い」「久しぶりに言った〜」素直な感想が飛びかった。
賛美や祈りを想い出に封じ込めるのではなく、今を生きるものとするには、聖霊の導き以外、信仰者に何が出来るだろうか。
『主イエスの洗礼は、神さまがわたしたちに差し出してくださった手です。(略)わたしたちにできる最善のことは、感謝してその手を取ることです。だからわたしたちも、洗礼を受けるのです』(『イエスの歩み31私に従いなさい』吉村一雄著/日本キリスト教団出版局)。洗礼は大切だが難しくも遠くもない。主ご自身が近くにおられる喜びが全ての教会に与えられている。祈り、身近な救いを知らせたい。12年ぶりの同窓会の知らせ。祈りが結実しますように。(教団総幹事 網中彰子)
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