東日本大震災から7か月を過ごした私たちは、特別伝道礼拝を迎えた。特別伝道礼拝は、レクリエーション(再創造)、神が私たちをこの礼拝から新しく創造してくださるという期待を持って祈り、計画を始めた。特別伝道礼拝は、当教会の恒例行事であったが、今年度は、やはり大震災を踏まえずには何も考えられない。具体的な計画を始めたのは震災から半年が経とうとしていた時であり、改めてこの半年間の変化や兆しを問われる機会も少なくなかった。
大震災以来、私たちの礼拝の歩みは痛みの中にあった。4月、着任したばかりの礼拝で、聖壇から見る幾人かのお顔には涙が流れていた。何とかしてこの痛みを取り去り、慰めの言葉を語らねばならないと躍起になった。しかし、6月に参加した聖学院主催の教会と学校との懇談会で講演と報告を伺い、礼拝に向かう姿勢を根本的に問い直された。7月から、礼拝で嘆きの詩編を祈り続けた。この月、一人の兄弟が病に倒れ、集中治療室での闘病と共に家族の看取りが始まった。兄弟は、特別伝道礼拝の2週間前に召された。復興の中にも、嘆きは確かに残されている。
一方、特別伝道礼拝のテーマとして「嘆き」を前面に出すことには抵抗を覚えた。普段あまり礼拝に来られない方を教会にお招きする場に、ネガティブなテーマはふさわしくないように思えた。教会には明るいイメージが必要ではないか? 役員会で意見交換をしていく中で、違う意見も出た。震災によって、思いもよらない人々との出会いが与えられたことへの感謝である。最も困窮していた時に、日本ホーリネス教団諸教会から物資の支援をいただいたことは忘れられない。たくさんの方々が私たちの教会を憶えてくださり、実際に足を運んでくださった。一方で、教会生活を共にしてきた兄弟姉妹との別れも経験した。それぞれが、さまざま思いを心の深いところに抱えており「嘆き」の通奏低音は響き続けている。教会を明るく見せようとか、元気な言葉を捻出しようとかというのではなく、神の前に本当の自分を置くことのできる素直な場所として教会が開かれるよう願った。ネガティブなものもポジティブなものもすべて神への献げものとする歩みへの招き「嘆きと感謝の歌を!」というキャッチフレーズを作った。
特別伝道礼拝には、藤沢教会聖歌隊有志の諸兄姉方をお迎えした。藤沢教会は、私が3月まで伝道師としてお仕えした教会である。当教会が奏楽者不在となり、ヒムプレイヤーで礼拝を導くことの難しさを課題の一つとして憶えていただいた。私たちは、ヒムプレイヤーに慣れることにも増して、新しい奏楽者が与えられることを切望している。礼拝堂のオルガンの奏楽に導かれる礼拝は、故郷に帰って来たような安心を与えるものである。故郷である私たちの小さな礼拝のために、藤沢教会の兄弟姉妹は心を砕いて祈ってくださった。そして、幾度も奏楽者をお送りくださり、この関係の中で大阪・蒲生教会員で東京在住の姉妹にも月一度のご奉仕をいただいた。さらに、聖歌隊の奉仕を申し出てくださったのである。
私は、藤沢教会の礼拝がどのように計画されているかも知っており、一度に30名近い聖歌隊のメンバーが抜けてしまうことは申し訳ないように思えた。しかし、主任の村上実基牧師は、藤沢教会が毎週完璧な礼拝をささげねばならないわけではない、磐城教会の礼拝の助けになればそれでよいとおっしゃった。私たちの礼拝は、20名に満たない小さな群れである。完全なものには遠いかもしれないが、確かに、主のからだの肢である諸教会とつなげられ、補い合っている。主の日には、いわきで、藤沢で、全国各地の至るところで讃美の声が上げられ、そしてそこには天の軍勢の讃美も加わっているに違いない。大いに励まされた。
この度の特別伝道礼拝に説教者としてお招きした松本周牧師(聖学院大学)は、土浦教会の嶋田恵悟牧師と日立教会島田進牧師と共に、震災以降初めて当教会に駆けつけてくださったお一人である。3月31日午後、ちょうど私がいわきに入って2時間ほど後のことであった。その時はまだ、教会員の半数以上が避難していた。松本師は、度々福島・いわきを尋ねてくださり、震災からの歩みを憶えていてくださった。松本師と藤沢教会聖歌隊指揮者の木村牧子姉、そして当教会の三者間で具体的な計画を進めた。当教会の7か月の歩みを顧みながら「嘆きと感謝」のテーマを思い巡らし、メールでやり取りをする中で、福島、埼玉、神奈川にある私たちの計画は、驚くほどに響き合った。
礼拝は、聖歌隊による招きの讃美「静けさのただ中で」(アイオナ共同体)から始まり、第二コリント1章3~11節が朗読された。ヨハネ福音書2章の〈カナの婚礼〉の朗読の後、松本周師を通して、深い慰めのみ言葉をいただいた。教会員の家族や友人方、幼稚園の保護者など8名の新来者を迎えた。
午後の讃美集会には、いわき市内にある常磐教会、勿来教会の皆さんをお招きした。第1部は、聖歌隊による讃美として、瞬きの詩人と呼ばれる水野源三氏の歌「主よ、なぜ」、「主よ、御言葉をください」などを聴いた。第2部では、立証と木村牧子姉の独唱「一羽のすずめに」に耳を傾けた。第3部では、木村姉のリードにより一同で讃美する時間を過ごした。
その中の一曲として、関東大震災から生まれた「とおきくにや」(聖歌)をリクエストされた松本師が、震災で会堂が取り壊された福島教会を訪問され、更地に取り外された十字架が横たわっていたこと、「とおきくにや」の「十字架はかがやけり」のフレーズが頭に巡ったことをお話しくださった。常磐教会の会堂もまた、半壊の判定を受け、この冬、取り壊される。そのような痛みの中でも私たちは、十字架の光を見つめて歩みたい。
最後に、「キリストの平和」の歌の間、参加者すべての人たちが握手し平和のあいさつを交わした。常磐教会の武公子牧師の祈りにより、会を閉じる祈りが導かれた。
(上竹裕子報/
磐城教会牧師)