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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【2023年11月】今月のメッセージ「役に立つってなんだ」

2023年11月1日

「役に立つってなんだ」

聖書個所:「イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。 しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。 はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」 そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。
マルコによる福音書10章13〜16節
※動画はこちらから

京葉中部教会
牧師 伊勢 希

 

 2016726日、神奈川県である事件が起きました。皆さん、未だ記憶に新しいと思いますが、神奈川県立の知的障害者福祉施設である「津久井やまゆり園」にて元職員が刃物を所持し侵入。19人もの命を奪い、26人に重軽傷を負わせた事件です。この事件の報道を最初に見た時の衝撃を今でも覚えていますが、それよりも私が記憶にあるのは、この事件を起こした植松さんが障害を抱えておられる方々にはなった発言でした。
 北九州で野宿される方々への支援や生活困窮者支援をされている奥田ともし牧師は、植松さんの真意を聞こうと拘置所で接見した一人です。
 二人の会話の一部を紹介します。奥田牧師「重度障害者は役に立たないと?」この問いに植松さん「そうです、人間じゃない」では君は事件の前、どうだったの?と畳み掛けると「いや、あまり役に立たない人でした。役に立つ人間になりたいと思っていた」。
 奥田牧師はこれらの会話により「彼も世間から役に立つかどうかを問われつづけ、自分の価値を示す為に自分より「役に立たない」ものを消すことを選んだのではないか」。このように振り返っておられます。
 改めて考えたいのです。役に立つって何なのでしょうか。誤解がないように言っておきたいのですが、私は役に立ちたいという思いを否定しているわけではありません。私も役位に立ちたいという思いを持っている一人の人間です。もっというなら、役に立てたと思っていても、ありがとうを言われなかったら、え。っと思ってしまいますし、ありがとうと言われるのを期待してしまう人間でもあります。
 私が言いたいことは、役に立つとは何であるかの定義づけも曖昧なまま、いつのまにか誰かの社会の役に立たなければいけないのだという価値観、役に立たないと無価値なものだという価値観、そして役に立つものにならなければ、あなたは駄目人間だという恐怖心さえも今この世の中には蔓延してしまっているのではないか、と言うことを問いたいのです。
 例えば、ナチス政権が実行したT4作戦や日本では1948年から1996年、役50年もの間施行されてしまった「優生保護法」それらの人間が犯してきた様々な過去の歴史を振り返る時、人間はどうしても目の前の人間が役に立つかどうかの線引きを行ってきた、そしてその中で犠牲になるのは、弱い立場に侵されてしまった人たちだったと言わざるをえません。
 常に役に立つかどうか判定される側にいかされ、役に立たない、また役に立たなくなったと思われた瞬間、使い捨てられる。そのような過去があり、そして今もそのような実態が残念ながらあるのです。
 今回、選ばせていただいた箇所はイエスが子どもたちを祝福するという、とても暖かな場面を想像することができます。しかし実際は、とてもざわついていたのではないかと思うのです。
 当時の価値観では、子どもはとても軽んじられた存在でした。
 人間としての価値が認められるのは成人になってから、と考えられており、こどもの人権などなく、全て父親がにぎっていました。
 だからこそ、弟子たちはイエスにこどもたちを連れて行こうとする人々を叱ったのです。
 けれどもそのような価値観を生きる社会において、イエスは真逆の価値観を示します。子どもたちを私の元へ連れてきなさいといい、そして周りにいる人たちに「子供を受け入れるように」と諭すのです。
 子供たちだけではなく、イエスという方はいつも目の前にある命を尊び、大事にされた方なのだ、という記載が福音書にはたくさん出てきます。周りから存在を無視され、価値のないとされる人たちに対し、生きる意味を見出せず苦しんでいる人たち対して、立ち止まり、目を合わせた人です。あなたがここで懸命に生きていることを私は知っていると伝え、生きていることを喜び、価値のないと思われている人たちを切り捨てる当時の価値観を真っ向から否定し戦った人です。
 そして役に立つかどうかの線引きなどせず、ただ生きているだけであなたは尊いのだ、大切な命なのだ、と語り。そこにある命を単純に喜び祝福した人、それがイエスという方なのです。
 私はこのイエスの姿を見る時、私たちキリスト者が発信しなければ行けないメッセージは、あなたは役に立つ人間だ、安心しなさいというのではなく。そもそもそのような。人を価値ある人間かどうかでみてしまう価値観がおかしいと声を上げることだと思っています。
 私たちはすぐに流されてしまいます。
 自分の価値を時に他者に求め、認められないと不安になります。
 何もできない自分を見つめた時、私自身が存在して良いのかどうかも分からなくなり、自分が嫌になるのです。
 でもイエスはそんな私たちがいま、生きていること、そのことをただただ喜ばれる方なんです。私たちはそのイエスからの祝福を今一度思い出し、今ここにいかされる喜びを噛み締めていきたいとおもいます。

 互いにここにある命を、目の前にある命を共に尊び合い、祝福しあい、大切にする歩みを重ねていきたいと願います。

 

今月のメッセージ
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