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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【2023年3月】今月のメッセージ「ズッ友だよ(※無理だけど)」

2023年3月1日

「ズッ友だよ(※無理だけど)」

聖書個所:イエスはお答えになった。「今ようやく、信じるようになったのか。 だが、あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている。しかし、わたしはひとりではない。父が、共にいてくださるからだ。 これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」
ヨハネによる福音書 16章31~33
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日本基督教団 はりま平安教会
牧師 松本あずさ

 こんにちは。兵庫県加古川市にある、はりま平安教会の牧師・松本あずさです。
 皆さんはSNS、例えばインスタグラム、フェイスブック、ツイッターなどのインターネットの交流サービスを使ったことはありますか?
 私はSNS、大好きです。暇さえあれば誰かのつぶやきを読んでいます。今月、3月は卒業ネタが多いです。懐かしいです。
 一日の多くの時間を一緒に過ごした友、卒業したら会えなくなります。私は卒業式の後、写真をたくさん撮りました、写真に「我等・友情・永遠・不滅」と書き込みました。(全て漢字でかくのがカッコイイと思っていました)
「別々の学校に行っても、一生親友」と約束しました。しかし、新しい環境、新しい友達と仲良くなるのに忙しくなると、私は忘れていきました。
 SNSで卒業式の写真や「ずっと友達(ズッ友)」という言葉を見ると、約束を守れなかったことを思い出します。

 イエス様も大好きな弟子たちに何度も「ズッ友だよ」と伝えます。
 何年も一緒に旅をし、食事をし、語り合ってきた仲間です。別れが近づき、イエス様は、最後に思いをしっかり残そうと弟子たちの汚れた足を洗いました。キレイになった弟子たちの足、反対に汚れたイエス様の手ぬぐい、黒くなったタライの水。この光景を覚えておいて、これはズッ友の印。互いの足を洗いあうように、自分の汚れていると思える部分、弱さを仲間にみせて、仲間の欠点もあなた受け入れていくんだよ。イエス様は語ります。
 イエス様は弟子たちとの最期の食事をしました。「これは約束の食事、記念としていつまでも続けてほしい、この食事を覚えておいてね」と、イエス様は伝えます。
 「もちろんです!」弟子たちは答えます。「イエス様が伝えた言葉、行動、ばっちり理解できました!絶対忘れません」「イエス様と絶対に離れません!私は自分の命をかけます」と熱く語る弟子もいました。 
 しかし、イエス様は知っていました。数時間後、弟子たちはイエス様を見捨てて逃げます。
 「イエス様のために命をかける」と誓った一番弟子、数時間後「イエスなんか知らない、あんな男と仲間だなんて有り得ない」と何度も拒絶します。
 こんな風に紹介すると「弱い人だ」「だらしがない」「簡単に裏切って弟子の資格無し!」と思うかもしれません。

 弟子たちは何故イエス様を切り捨ててしまったのでしょう。怖かったのかもしれません。
 何が怖かったのでしょうか、あなたはどう思いますか?イエス様の十字架の場面を想像してください。十字架とイエス様、近くにはローマの兵士、武器を持っています。ずっとイエス様の活動が気に入らず、存在を消したいと計画を練っていた人たちがいます。イエス様と一緒に十字架につけられた人もいます。悪口も聞こえる。「他人のことに必死になっちゃって、自分のことも満足にできないくせに。イエスという男の語る神様の愛?全て無駄だね」
 もし皆さんがイエス様の弟子の立場で、この場面いるとしたら、誰が怖いですか?
 私は群衆が怖いです。イエス様の近くにはよく群衆が登場します。
 私たちの世界をこんな風に変えていこう、神様が与えられたいのちを生き生きと生きようと励ますイエス様、その場に、群衆がいます。「わたしは世間の脇役、モブキャラ」そう思い込む人のところへイエス様が出かけました。群衆も立ち会います。人と出会うことが大好き、ご飯を一緒に食べることが大好きなイエス様、それを見る群衆。イエス様も群衆に語りかけます。
「イエス様良い人!」「イエス様の活動は役に立つ!」と群衆はつぶやきます。しかし、イエス様の教えは危険だと言うフェイクニュースが流れ、それが強い意見になっていくと、群衆はだまされた!と怒ります。
「イエスと言う男に期待して損した!」「ガッカリだ!」「死刑だ!」「十字架につけろ!」と叫びます。イエス様を逮捕し、苦しめ、十字架と言う形で死に追いやった場面に群衆がいます。群衆には自分の名前も意見も持ちません。多数派と感じた意見に同調することが好きです。誰かに差し向けられたから、イエス様を逮捕した。誰かに誘導されたから、イエス様を死刑にしろと叫んだ。周りの人が言うので、イエス様に酷い言葉を浴びせた。そんな行動が見えます。イエス様の十字架の場面に、もし自分を登場させるとしたら、私は群衆が怖いです。
 始めに紹介したように、私はSNSで色々な人のつぶやきを見るのが好きです。
 SNSを使っていると、群衆の怖さに出会うことがあります。「苦しい、辛い」、そうつぶやいた誰かに、大勢が冷たい言葉を突き刺します。「努力が足りない」「今はそのくらい当たり前」「もっと辛い人がいる」と。いわゆる破壊的カルトの話題を目にします。神様ではない物を神のように扱い、頼り、苦しむ人のつぶやきに出会います。大勢がコメントを投稿します。
 これだから宗教は嫌。無意味な存在。宗教なんか、なくなればいい、と。その言葉を見て、私はお腹がキューっとしぼられているように痛くなります。
 正体を隠して近づき、嘘をつく集団は宗教じゃない。「あなたがたくさんお金を払わないと、あなたのせいで家族も先祖もみんな不幸になる」?そんなわけないだろうと叫びたいです。神様はすべてのいのちを祝福していると訴えたいです。
 私たちの周りで起こる理不尽な出来事について、何か嫌、間違っている気がすると違和感をつぶやく人に、大勢で厳しく否定する場面に出会います。「どうせ何を言っても世界は何をしても変わらない」「偉い人の決めた意見に皆で従え」「嫌なら出ていけ」「これが多数派の意見 異論は認めない」と。
 群衆の言葉の嵐の中で、私は「自分の言葉なんか意味ないし」と言い訳をして黙ってみています。イエス様の十字架の場面でも、私が同じ場所に居たらきっとそうしてしまう。弟子たちのことを批判できません。私は弱い人間だと感じます。

 しかし、イエス様という方は、全てをご存じで「ズッ友だよ」と言われます。ズッ友だよ。無理だけどね、皆バラバラに逃げていくけどね。そう言った後、だけどね、と更に続けます。
「私は孤独ではない、神様がいつも一緒だから寂しいということはない。今は悪意が強くて、憎しみの力が勝っていると感じても、イエス様が全力でつないだ思い、神様の愛を信じる力は倒れない。引き継がれていく。だから、絶対に負けない。」
 その言葉の通り、群衆によってつぶされてもイエス様は復活します。バラバラに逃げた弟子は、再び集まります。沈黙した弟子は、再び語ります。イエス様を見殺しにしてしまった痛み・弱さを隠さず、ひたむきにイエス様の思いをつむいでいきます。

 今、キリスト教の暦では受難節と呼ばれる期間です。イースターは有名です、イエス様が復活された日です。受難節とは、イースターをお祝いする前にイエス様がどのような苦しみを受けたのか、弟子たちに何が起こったのかを振り返ります。
 今年の受難節、ぜひ群衆に注目して聖書を読んでください。あなたの生きる世界に、この群衆のような人たちがいないか、考えてください。
 願わくは、憎しみのある場所で、神様の愛をつぶやいてほしい。私も挑戦してみます。
 何の影響力もなくて落ち込むかもしれない、悪意で団結した群衆の方が強くて怖くなるかもしれない、でも、私たちは知っています。神様の愛を信じる力は、倒れないこと。何度も神様の元に逃げて、また力を取り戻せること。世界中の教会で神様の愛を信じ求め祈る友がいること。だから、負けない。
 イエス様はわたしたちに言われます。「勇気を出しなさい」。「あなたの中心から湧き上がる言葉を語りなさい」。そう呼びかけるイエス様の声が広くゆきわたりますように。

今月のメッセージ
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