新型コロナウイルスのパンデミック(世界的流行)がおさまりそうもない。ドイツ在住の作家、多和田葉子さんが「コロナ・テスト」と表現していたが、今や世界のシステムのあらゆる要素に深刻な問いが突き付けられテストされている。教会も例外ではない。この事態の中、教会はどうふるまうか、何をしているのか、教会とは何なのか、深刻に問われている。
中世ヨーロッパで「黒死病」が流行した際、各地の修道院が病人の看病に尽くした一方で、わが身を守ろうと逃避した上級聖職者も多かったという。彼らへの不信感が後の宗教改革にも影響したとの指摘もある。
さかのぼって三世紀にローマ帝国を襲ったパンデミックは、当時まだ少数派だったキリスト教の進展をうながしたと言われている。疫病のもたらす死を神々の懲罰と恐れ、感染者が手当てもされず放棄される中、キリスト者たちは死を恐れず隣人たちの看病にあたった。それによってキリスト教への信頼が高まったというのだ。
もちろん今日では、医療や看護はもはや教会が直接担える領域ではない。しかし、では教会は何をするのか。恐れに支配されることなく愛によって仕える働きが、なお教会の領域として託されているのではないか。それが具体的に何なのか、どうすればよいのか、深く重い問いを前に、たちすくんでいる。
(教団総会副議長 久世そらち)