年度末が近づいた日曜日、礼拝で説教が始まった途端、礼子さんの目から涙が落ち始めた。明確な理由はないが、そこで「ああ、長老の務めを終わる時が来た」と、なぜかストンと実感できたそうである。
大曲教会の牧師であった(1925年〜1980年)荒井源三郎は義父。その次男である荒井嗣さんと、夫婦そろって長年にわたり大曲教会を支えてきた。近年は礼子さんが会計をはじめ、長老として仕えてきた。自分の年齢や体のこと、また家族の事情もあって、急に日曜日に礼拝に参列できないこともある。腰の具合などを含め、これ以上よくならないと医者に言われる体の部分も増えている。ただ他の役員に聞けば、やはり礼子さんが役員会にいて欲しいという声も上がる。
例年牧師が、教会総会で選出される役員に、召命を問いかけている。選挙で選ばれて世に現れ出たこの結果を、御心として受け止めるか、と。
義父の関係で、家に奥羽各地から牧師が集まることも度々あった。そして色々な話が時にとりとめもなく交わされるが、何かを決めるときや何かを行うときに「召命だから」という理由が、どうしてもよく分からなかった。確かにそうなのかもしれないが、どこで、どうやって神さまの声を聞いたの?という疑問が拭い切れなかった。
召命に関し、召される声を聞くことは決定的だが、召され続けていることを確信することも、そして、召しが終わった時をきちんと把握することも大切だと牧師は語る。今はそれにアーメンと言える。これまでの長年にわたる働きを、献身として神さまにささげ、長老としての召しは一旦終わったかもしれないが、教会員、一礼拝者としての召しに変わらずに仕えていきたいと信じる。
大曲教会員。夫・嗣(よつぎ)氏と娘とで荒井医院を営んでいる。