▼「ぼくは、ラルクが新しい宗教を信じているのを知っていた。...中略...トーラも新しい宗教を信じていたが、かのじょは、天国だけがあって、ハーデースはこの地上の生活だと信じていた。...中略...それで、トーラは自分をさらけだして、きずつけられたが、それが心のささえにもなっていた。ラルクの宗教は、からだをあたためてくれる、そまつな着物だった。ひつようだと思うときだけ、とてもねっしんに、その宗教を信仰したにすぎない。それがひきちぎれると、ラルクはそれをつくろった。夏になると、ぬぎすててしまい、秋のあらしがびゅーびゅーなりだすまで、これっぽっちも考えなかった。...エリック・C・ホガード『バイキングのハーコン』」。▼話の前後や舞台背景を説明しなくても、多分、理解いただけると思う。ラルクとトーラと、どちらの信仰の姿勢も、一概には否定できない。しかし、春に必要とされても、夏には忘れ去られる信仰は、本当に、人生の厳しい冬に耐えられる信仰だろうか。▼ラルクのような人は実際にいる。むしろ多いかも知れない。早春の未だ朝晩冷え込みの辛い時に、カーディガンのように羽織った信仰は、夏には、無用となり、そして、冬には探しても見つからない。▼夏にも手放さなかった者だけが、人生の冬にそれを羽織ることができる。