毎年2月11日は国民の祝日に関する法律によって「建国記念の日」とされ「建国を偲び、国を愛する心を養う」と規定されている。紀元前660年2月11日に神話上の人物とされる神武天皇が橿原にて即位したことを以て、従来この日は「紀元節」と呼ばれてきた。天皇制を中心とする統一国家成立の根拠とされるこの建国神話は、かつてのアジア太平洋地域への侵略戦争を正当化することに用いられ、国内へは、天皇を現人神として祭り上げ、国民を皇国臣民とし、その宗教的枠組みたる国家神道への帰依を促すための宮城遥拝を強い、皇国史観の養成と戦争協力のための挙国一致体制をつくりあげる役割を果たしたのであった。
日本基督教団は1967年よりこの日を、「信教の自由を守る日」としている。何故ならば、戦前戦中を通して、天皇制の名のもとに信教の自由が抑圧されてきた歴史があるからである。敵性宗教とみなされてきたキリスト教会は国家の懐柔によって骨抜きにされるべく、信仰対象を弱められ、また宗教団体法が成立していく中で、キリスト教諸派はもろともにまとめ上げられ互いを監視下におく態勢が作り上げられたのである。こうした中で起きた悲劇が六・九部の受難である。非戦平和を訴えたキリスト者が治安維持法によって数多く投獄され、命を失っていったのである。こうした不条理な抑圧に苦しめられたのは国民のみならず、朝鮮半島への侵略にあたっては神社参拝を強要された人々の、数多くの壮絶な悲惨な経験が忘れられてはならない。これらの理由から私ども信仰者は平和憲法のもとで今後決して信教の自由が抑圧されてはならない。また私ども自身も抑圧者の立場に立ってはならない。
私どもは、かつての時代、国家に迎合し、その戦争施策に同調することにおいて、「信教の自由を失う」経験をし、信仰の対象をないがしろにし、アジアの隣人に苦難と悲しみを強いたのである。このことに深く心の痛みを覚え、罪責と、罪の赦しの告白を為しつつ、二度と同じ轍を踏まぬよう心しつつありたいものである。剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする(イザヤ2・4)、平和の主イエス・キリストの名のもとに開かれる、全国の「信教の自由を守る日」の集会の上に神の豊かな祝福がありますように。
(社会委員長 森下 耕)