91年間の生涯を全うし、その絶えざる祈りの聞き手の方の許に凱旋された元教団総会議長 吉田満穂牧師の葬儀に列した。
高知教会牧師として42年間、千葉の我孫子に転じての19年間も多くの教会で礼拝説教をなしつづけられ、福音伝道に捧げきったご生涯であられた。
しかし深く広い牧会伝道のお働きに従事することを時代は吉田満穂牧師に許さなかった。
1969年、第16回臨時総会はいわゆる九・一~二の徹夜討論集会での要求を受け入れて開催されたものであったが、激しい討論集会に終始、議長の総括表明をもって終結した。
翌'70年1月の常議員会で高崎毅副議長が辞任。このあとを受けて副議長に就任されたのが吉田満穂牧師であった。
'71年飯清議長の辞任を受け2月常議員会で議長に就任された。
万博問題、東神大機動隊導入問題、教師検定試験をめぐる混乱等まさに「荒野の40年」の渦中に議長として、'72年8月辞任するまで身を削って教団形成に尽力された。本当にご苦労であった。
教団総会議長でありつつ、総会で選任もされず、総会を開催することもできなかった。
しかし嵐の如き教団の混乱の中で、み言葉を宣べ伝える教団、歴史を変える神の真理に堅く立つ群れでありつづけるために自ら立ち、忍耐し、教団を守り続けられた。この祈りに裏打ちされた闘いは不滅である。
(教団総会議長 山北宣久)