キリスト教医療ミッションの現場から 大江 浩(JOCS総主事)
タンザニア
幼子の命を守る-大地に根を張って
JOCSは二〇〇七年にタンザニア・タボラ大司教区へ清水範子ワーカーを派遣しました。タンザニアを取り巻く周辺諸国は紛争が絶えず、同国自体の貧しさにも関わらず(失業率は44%超)、難民庇護国となっています。一昨年夏、六〇〇キロの道のりをひたすら走り、清水ワーカーの活動地を訪れました。車窓から見え たバオバブの木は、大地にしっかり根を張って生きていました。
タボラ大司教区の保健部門は、一つの病院、三つの保健センター、五つの診療所を管轄し、同時に地域に根付いた保健医療協力を行っています。清水ワーカーの活動は、保健部門でのマネジメントと、イプリ保健センターでの助産婦としての活動がメインです。イプリ保健センターでは、三つの村を巡回し妊婦健診と五歳未満健診 をしています。
「イプリ保健センターのほとんどの子どもの入院は、マラリア・低栄養・貧血によるものである。子どもたちは繰り返し入院してくるケースもあり、最終的には亡くなってしまう。この悪循環をどのように改善していけるのか。...タボラの人々と共に生きること、共にできることを一緒に考えていきたい」(清水ワーカー月例報告 )。タンザニア・アフリカのことを少し紹介したいと思います。
「サハラ以南のアフリカでは、熱を出した子どもの三分の一しか抗マラリア薬を使っていない...出生登録率そのものが著しく低いタンザニアでは富裕層と貧困層との間で大きな格差があり、最も富裕な20%の層では子どもの25%が登録されているのに対し、最も貧しい20%の層ではわずか2%しか登録されていない(平均8%)... サハラ以南のアフリカだけで、HIVに感染した二三〇〇万人のおとな(十五~四九歳)のうち、一三一〇万人(57%)が女性...二〇〇六年の段階で、HIVとともに生きる十五歳未満の子どもの数は二三〇万人に上る...サハラ以南のアフリカだけで、二〇一〇年までに約一五七〇万人の子どもがエイズによって孤児となる見込みで ある」(世界子供白書二〇〇八)。
新しい命の誕生を守る、そしてその未来を支えることが清水ワーカー・タボラ大司教区の保健部門のスタッフのミッションです。生まれる前のHIVの母子感染を防ぐこと、児童期の大切なときにエイズによって親を失う子どもたちを少なくすることも大切な役割です。ただひたすら祈らざるを得ません。
清水ワーカーが指摘するように、タンザニアはマラリア禍にも苦しんでいます。エイズだけではなく、結核・マラリア・ハンセン病など、貧困と密接に関わる感染症対策はJOCSが各地域で取り組んできたことです。エイズ撲滅が叫ばれる陰で「見えない事実」、結核は年間約九〇〇万人が発症し、約一七〇万人が死亡。マラリアの年間罹患者数は三~五億、一五〇~二七〇万人が死亡という統計があります。人間は「数字」ではありません。しかし数字はある真実を物語ります。
「タボラの道の両端にはマンゴーの木がきれいに並んでいる...リビングストン博物館でその訳がわかりました。かつての奴隷売買時代に、キゴマからバガモヨ海岸へ東に九〇〇を奴隷が首に鎖をつけ二列に並んで歩いた道中に、マンゴーを食べてその種を落としたので、道の両端にマンゴーの木が並列していたのです。...Dr. David Livingstoneがタボラに一年間住んで奴隷売買禁止の大変な努力をされたこと、医師としてまたクリスチャンとして多数の人々のために活動したこと、彼の偉大な活動に感銘しました」(月例報告より)。
リビングストン博物館には私も訪れました。開拓時代の宣教の歴史が刻まれていました。
清水ワーカーの働きはタボラの人々と共に生きること。そしてその恵みを私たちは得ています。
カンボジア
泣くものと共に泣き、喜ぶものと共に喜ぶ
JOCSは、カンボジアで長く続けてきた母子保健活動を二〇〇六年十二月に終了し、諏訪惠子ワーカー(看護師)は二〇〇八年二月から新しいミッションに従事しています。「レナセール=女性と共に歩む会(RWW)」という日本のカトリック礼拝会のシスターたちが運営する女性のためのシェルターでの活動です。 レナセールとは、スペイン語で「生まれ変わる」という意味で、二〇〇九年一月現在、女性八人と同伴児九人(うち一歳未満児四人)の計十七人が入居しています。シェルターで暮らす女性たち(クライアント)は、性的搾取やDV被害の犠牲者で、諏訪ワーカーの働きは入居者の安全、安心、健康的な日常生活を守り、再び、社 会生活に戻っていけるよう支援することにあります。そのために、彼女たちの身体面に対するサポートと共に傷つき凍てついた心を癒すことも大切な役割です。
私たちは、諏訪ワーカーの働きを契機として、クライアントが生きてきた現実を学んでいます。カンボジアは長く悲惨な戦争が続きましたが、奪われたのは命だけではなく多くの人々の「未来」です。破壊しつくされた国に残されたのは深い心の傷と「貧困」という構造的な暴力です。和平調停が成立してから十五年たった今も、 その暗闇の歴史は封印されたままです。女性や子どもたちは搾取の対象であり続け、「声なき声」はかき消されてきました。
一昨年、国際子ども権利センターのシンポジウムでカンボジアのソマリー・マムさん(文芸春秋『幼い娼婦だった私へ』著者)のお話を聴きました。ソマリー・マムさんは少数民族として生まれ(父母の消息は不明)、十四~五歳で兵士と結婚させられ、まもなく買春宿に売られました。拷問を受け、暴行される日々が八年続き、 幸いフランス人と結婚。その後、女性救援組織を設立し、買春組織と闘っている女性です。彼女はサバイバー(生存者)として、今は同じような境遇にある女性たちを支援する側にいます。しかし、マムさんは稀な例かもしれません。多くの女性や子どもたちは「被害者のまま」生きざるをえません。生きていたならば...。カンボジ アのみならず、世界各地の「多くのソマリー・マムさん」が日々暴力に晒され、虐げられつつ生きています。アジアの人身取引や児童売買に、日本が少なからず関わりがあることは知られていません。残念ながら。
RWWは、カンボジアで貧しく弱くされた子どもたちや人々に関わってこられたシスターたちによって始まりました。RWWは、カトリックとプロテスタントの協働の証です。心も体も未来も人生もずたずたに引き裂かれた女性たち。深く傷ついた人の話を聴く人も傷つきます。重荷を共に負うことでつぶれそうになります。絶望の淵にある女性たちはささやかな幸せ、温かさ、微かな光を求めています。諏訪ワーカーやシスターたちの「泣くものと共に泣き、喜ぶものと共に喜ぶ」働きは、女性と子どもたちの命を支えています。大切な「地の塩」として。
「学生のころからマザーテレサの活動に目を向けるようになった諏訪さん。卒業後、日本のハンセン病療養所で働き、インドを訪問して貧しい路上生活者の姿が心に留まった。…」(カトリック新聞二〇〇七年六月三日号)。諏訪さんは、その後、カンボジアでの活動に従事します。「私が行き詰まったときにカンボジアの人のそばにいることで、無力な自分に力をくれるのは彼らだった。それに気づいた時、怖いもの知らずにいろんな所に足を運べるようになりました。貧しい人が実は強い。パワーを持っています。…」(同新聞)。
諏訪ワーカーの働きを祈りつつ支えたいと思います。