祈りと働き 愛に生きる・愛を為すこと 大江浩
JOCSは、二〇〇七年度に、バングラデシュのマイメンシンにある、CCH(Community Center for the Handicapped)へ山内章子ワーカー(理学療法士)を派遣しました。 CCH(一九九七年設立)は、地域に根ざした障がい者コミュニティセンターで、超教派の男子修道会であるテゼのブラザーたちのサポートにより始められました。外来患者のリハビリ・地域巡回診療・職業訓練やグループ活動など多様な活動を行っています 。
山内ワーカーの役割は、CCHをベースとした巡回リハビリやスタッフの教育指導、テゼが運営に関わるラルシュ・コミュニティの知的ハンディのあるメンバー(後述)のリハビリなどで、他にもダッカや他の地域の障がいを持つ子どもたちのケアや、スタッフとなる人材の育成にも携わっております。
CCHは今、脳性まひの子ども七〇〇人、それ以外の障がいを含めると延べ三〇〇〇人の障がい児をケアしています。
障がい者の支援と一口に言っても車椅子も、義肢義足、靴にいたってもその人の「暮らしや生の営み」を支える補装具が乏しい現実があります。
ここで一つのエピソード(アイシャという女性のお話)をご紹介したいと思います。
「バングラデシュの貧しい家では当たり前のように、彼女もとても若い時に結婚しました。まもなく結婚生活は悲惨なものなりました。夫から暴力を受ける日が続き、絶望した彼女は自殺しようと考え、とうとう列車に飛び込んだのです。彼女は生き残りましたが、両足を失いました。CCHでは、障がい者がカーペットを作る小 さな作業所を始めました。アイシャはそこに所属し、わずかですが、収入を得るようになりました。そして車椅子を与えられたアイシャは、それに乗ってマイメンシンのスラムの小さな家から毎日通うようになりました。アイシャは冗談を言い、そして歌います。両足があった時よりも今の方が幸せだと彼女は言います」。(JOC S2007年度夏期募金趣意書より)
それぞれの人生には、それぞれのストーリーがあります。「障がい」を取り巻く状況は多種多様です。女性や子どもたちが虐げられている深刻な現実や構造的暴力の問題が透けて見えます。JOCSは、ワーカーを通して、それら一人ひとりの生き様に寄り添っていきたいと思います。私は二〇〇八年二月にマイメンシンを訪れる機会が与えられ、スラム地区の巡回活動(家庭訪問と障がい児のためのリハビリ)に随行しました。イスラム教のコミュニティで、多くの子どもたちと家族が一部屋で肩寄せながら暮らす社会です。
環境は決してよくありません。子どもたちはそれぞれに障がいの種類・度合いが異なります。障がいの故に排除されてきた子どもたちもいます。温かい手を差し伸べながら、丁寧に誠実に機能訓練をするCCHスタッフ・アレックスの姿に感銘を受けました。
彼は少数民族出身で、テゼのブラザーたちの支援を受けながら学んできた人で、今の仕事に生きがいと誇りを持っています。テゼの祈りが育てた貴重な人材の一人です。巡回リハビリで訪れた家庭は皆最貧層で、バングラデシュの国籍も無く、生きる権利を奪われた人々でした。地に根を張って生きる姿が目に焼きついています。?
CCHは施設に頼らず、地域に根ざした障がい者の自立支援の活動において、パイオニア的存在です。すべての働きの根底に「祈り」があります。山内ワーカーは、岩本直美ワーカー(看護師)がコミュニティリーダーを務めるラルシュコミュニティのメンバーにもリハビリを通して関わっています。
岩本ワーカーは、三つの家・プシュポニール(華の家)をベースにアシャニール(希望の家)・ショプノニール(夢の家)とワークショップ(工房)、そしてデイケアをまとめる立場にあります。
ラルシュコミュニティは、ジャン・ヴァニエが一九六四年に知的ハンディのある二人の青年を迎え、共に暮らしたことから始まりました。知的ハンディのあるメンバー「仲間たち」とその人たちの暮らしをサポートする「アシスタント」からなるコミュニティで、生活・作業・祈りから成り立っています。ジャン・ヴァニエはかく 語ります。
「弱い人は、強い人が必要ですが、しかし強い人もまた弱い人を必要としていることがラルシュにおいて分かってきました。...知的ハンディを持つ人のもろさと苦しみに触れ、その時、彼らが私を信頼してくれると、私の中にもやさしさの新しい泉が湧き起こるのを感じました」。(「ラルシュのこころ 小さい者とともに、神に 生かされる日々」-ジャン・ヴァニエ:一麦出版社より)
そして静岡の「ラルシュかなの家」を創められた佐藤さんの言葉(同書より)です。
「ラルシュのコミュニティは、様々な弱さ、貧しさが持つ逆説を示しています。多くの人が投げ捨て、端に追いやってしまっていることが、恵みと一致と解放と平和の道になるというものです...なぜなら貧しい人の中にこそ、神の力が働くからです」。(同書 訳者:佐藤仁彦)
テゼの一日は祈りに始まり、祈りに終わります。テゼのブラザーたちの「祈り・働く」姿は、「イエスの生き方」に通じます。山内ワーカーは、「ここ(マイメンシン)は神様に近い場所」だと語ります。
日本は物の豊かさはあっても、心は貧しく愛から遠く飢え渇いた世界があります。テゼのすべてのスタッフの「地の塩」としての働き、即ち信仰が支える愛の行為が神様に近づくことであるように思えます。向き合う人々に支えられ、貧しさと闘いながら、豊かさを得るJOCSの現場。貧しく小さくされた人が「世の光」であり 、その中にイエス様の愛を見出します。そして私たちが共に祈ること、支えることがまさに「愛を為すこと」であると学ばされています。
( JOCS総主事)