晩秋の或る主日夕、東京・永福町に幼稚園の持続を断念して、その敷地を売却し、瀟洒な会堂・集会室・牧師館のみを新築をした永福町教会の献堂式に出席した。教会は、地域に次第に少数化する幼児の実情と教会幼稚園としての経費に徒ならぬもの有りと判断して廃園の決断をしたのだ。ところがそれに異を唱える保護者と卒園者ら3000余名の人々の猛烈な反対署名運動が起こった。それらの動きに呼応して教会を離れた信徒も数名はいた。教会に戦後都内から現在地に移転した経緯があり、合わせれば130年を越す重厚な教会史と格式を有しつつも現在地で70年近く継続させた幼稚園経営によって、地域は教会というよりも、「小羊幼稚園」の呼称で親しまれたのも確かだ。そのために、歴代の牧師・園長は相当の努力をもって必要な教育を些かも恥じることなく行った。わたしは、幼稚園付教会に赴任したことはないが、それらの報告を聞きながら、思うことが幾つかあった。教会幼稚園の経営主体は教会にあり、幼稚園あっての教会ではない。だが、この伝統の教会にも幼稚園とは切り離せない繋がり、場合によっては互いに助け合わずにはいられない相互依存の時代もあっただろう。それは押し並べて地域に子どもたちが大勢いてのこと。牧師も牧師だけでは、園長の名をもってする影響力や尊敬も集めることは不可能だった。今や教会は、 教会一本で人々の心にどんな痕跡を残すのか、新たな戦いが始まった。(教団総幹事 長崎哲夫)