聖霊によってイエス・キリストの命と救いが差し出され、信仰によってそれが受け取られる場、それが教会なのである」、以前、この「談話」を書かせて頂いた時の最後の一文である。これは聖餐に於ける恵みとそれを受け取る教会の信仰の厚みを記したものであった。あれから4年余りの間に35人の教会員を天に見送ることになった。先週も58歳の幹事が天に召され、教会は別れの悲しみの中で、しかし復活の主の約束に全てを委ねて、彼を見送った。これらの人々は皆それぞれに地上での歩みと信仰を通して貴い証を立て、主に栄光を帰したのである。そして何よりも私たちと共に礼拝を守り、共に聖餐に与った人々である。イエス・キリストの贖いを心とその身に繰り返し確認しながら神の恵みに生き、地上の命が終わっても教会と共に真の命に生き続けることを、“恵みの座”に着く度に、確信してきた存在である。
聖餐を受け取る教会の信仰は、時と共に育てられ、厚みを増していく。教会の歴史を形作る神の御業を具体的に経験し、その御業を肢なる人々の歩みに於いて積み重ねるからである。教会は、聖霊によって与えられる信仰の告白と洗礼を繰り返し経験し、共に聖餐に与りながら、神の国へと身を伸ばして行く。そして主の再び来られる時を待ち望み、地上の姿を超える教会の本質を自らの内に確かめているのである。共に聖餐に与った人々を主の御許に委ね、教会は主の約束の中に立っている。(教団総会副議長 佐々木美知夫)