総会中3つの礼拝を献げた。
初日、開会礼拝は「ただ主にのみ望みをおく」(イザヤ40・27〜31、マルコ10・23〜27)と題し、木下宣世牧師(東京・西千葉教会)が説教した。
「9月には満75歳の兄弟姉妹にイザヤ40・31を記した写真集を贈る。身体が弱り痛みや疲れを覚える人たちにとって御言葉は慰めとなる。しかし、新たに力を得、という御言葉には注目するが、主に望みをおく、には注意を払わないのではないか。キリスト者ならば当然と思っているが、本当に主に望みをおいているか。主に問われている。〈伝道する教団の建設〉においても神に信頼する、主に望みをおく信仰が求められている。
捕囚の民は誇りを打ち砕かれ、異教の地で屈辱を受け困難にあった。解放と祖国帰還を祈ったが落胆し絶望していた。その民に、イザヤは、主なる神は生きておられる。万物の創造主、全知全能の神、永遠にいます方に望みをおきなさい。主に望みをおいてよい、と呼びかける。日本基督教団も困難、課題、厳しい現実の中で、ただ主に望みをおき前進したい」。
2日目、逝去者記念礼拝では、村田元牧師(関東・群馬町伝道所)が逝去教師・宣教師の氏名を読み上げ、「主の召しに応えて」(1コリント9・19〜27)と題し説教した。
「〈愛するということは、相手のために変わる能力である〉(精神科医・柏木哲夫)。クリスマスに読みイエス・キリストを思い浮かべた。まことの神である方が、まことの人の子となられた。その生涯は仕えるため、自分の命を与えるためだった。
パウロは相手のために変わると繰り返す。相手のために変わるエネルギーは、教会を迫害したパウロを、復活のイエス・キリストが愛してくださったことに応えようとしているからだ。パウロは、キリストに仕える歩みを喜びとして引き受けた。
召された教師の方々もキリストの召しに応え仕える者となり、キリストの恵みに応えて、多くの人々の魂を救うため仕える者として生涯を全うした」。
3日目、聖餐礼拝では、真壁巌牧師(西東京・相愛教会)が「神の招きにふさわしく」(エフェソ4・1〜6、14〜16)と題し説教、聖餐を執行した。
「32回教団総会では8割近い賛成を経て西東京教区が設立された。まことの主の御体である教会の枝として伝道で一致する教区として設立した。
主は困難、伝道の大変さを知られたうえで伝道、宣教へ派遣してくださる。主に結ばれて〈霊の一致〉による力が与えられ伝道のため祈りを篤くする。
主の招きを受けて、キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによってしっかりと組み合わされ、結び合わされて、おのおのの部分は分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって作り上げられてゆく。
共に被災地の諸教会を覚え、恵みを共有し、世界が直面している問題を覚え、福音を携えていく、主の御体へと形成されていきたい」。
(新報編集部報)