新しい人として
的場 武彦
(下田教会員)
二〇歳で受洗したが社会に出ると会社人間となり、娘の受洗まで教会とは長いご無沙汰期間があった。献身しても妻は妻、自分は自分の生活だったが、四年半前に下田教会から牧師である妻に招聘があったとき主の導きと信じ、妻と共に下田へ移り下田教会員となる決意をした。
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今回振り返ってみて自分が教会員・牧師パートナー・社会奉仕と三つも中心点を持って生活していることに気づかされた。
教会から「一信徒として牧師と一緒に来て下さい」と言われ、そのつもりで生活し始めた頃「分区牧師夫人の会」の案内状を受け取った。慣例として新任牧師の伴侶へ出した案内状であったかも知れないが、「新しい道を行け」と主が示してくださった気がして出席した。この会に参加したことで牧師夫人の担う役割の多様性や複雑さに気づかされたのが、会社人間からの脱皮の始まりだった。わたしに始まり男性の増加が予想されることもあって会の名称が「牧師パートナーの会」に改定された。「牧師パートナーの会」に参加しない方もおられるが、わたし自身は分区内にある教会それぞれの牧師パートナーと共に歩んでいると感じられる交わりとなっている。
現在、教会内では「広報担当」「会計補佐」を、教区では「財務委員(書記・会計)」をしている。
「広報担当」の仕事は、特伝・クリスマスのチラシ・ポスターづくりやポスター貼り、新聞社・有線テレビ局回りなどである。身近な存在としての教会と教会の活動を町の多くの人に知ってもらうために店に飛び込み、話し込み、自分自身が広告塔のつもりで歩き回っている。報道関係の方達からは、他の地域でも行われているように「教会さんはお寺さんと同じ扱いをします」と言ってもらえるようになった。
牧師から「広報担当係り」を置ける教会は少ないと言われたが、交流のある教会からは「下田教会の広報さん」と呼ばれたりしている。
パートナーが按手を受けたころ教友から、勧められ加入した「ワイズメンズクラブ」(信徒運動から始まり、YMCAをサポートし、青少年育成・地域奉仕の団体)が下田にもあり、引越しと同時に横浜から移籍した。下田のクラブメンバーを通して短期間に地域事情を知り交友関係が増えた。
クラブの活動範囲が教区と重なることもあり、分区・教区の信徒同士の交流の輪も広がり、伝道について、教会生活のあり方について、よい刺激を受けている。
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パートナーが牧師になると判っていたら結婚したろうか? と問われると唸るところだが、パートナーが牧師になったからこそ、教会員・牧師のパートナー・ワイズメンの三つの活動が重なり合う豊かな生活になっているし、一人の人間として私に主が与えてくださった使命、宣教活動の役割が見えてきたのだと思う。
パートナーが牧師になる以前の自分とは全く違う「新しい人としての人生」が展開されており、迷い出ることの多かった弟子を用いてくださる主の恵みを実感している。