戦後六〇年という節目にあってさまざまな声明、謝罪、あるいは決意表明がなされている。それら一つ一つの重みを受止めていかねばならない。
しかし、今一つ「近くて遠い」
問題について考えてみなければならないのではないかと思うことがある。それはホロコーストについてのことだ。
ユダヤ人六〇〇万人の虐殺について直接的に日本は関与もしていないし、責任もないという。しかし本当にそう言い切れるのだろうか。
日独伊三国軍事同盟のもとドイツのナチスによるユダヤ人迫害さらには虐殺について日本も密接なドイツとの関係から知っていたにちがいない。しかし、結局は座視、無視したのではなかったか。
この点、日本にとってホロコーストに対する痛みは強くあるべきはずだ。
特にキリスト者にとってはイエス・キリストはユダヤ人だったということ、ユダヤ教からキリスト教が生まれたこと、そのことからしてもユダヤ人問題の距離は日本人の中では誰よりも近いはずである。ところが実際は遠い問題として関与していない。これが、近くて遠いという所以だ。
イスラエル、パレスチナの問題とも相俟ってユダヤ人との距離はますます遠くなっている感じがする。
しかし、この距離を縮めていくことも戦後六〇年ということの一つの課題ではないかと痛感する。
(教団総会議長 山北宣久)