【4588号】伝道メッセージ

ヨシュア記一章一~一〇節

足の裏が踏む所 姫井雅夫

教会は、イエス・キリストの十字架による救いの恵みに与った人々の集まりです。ですから教会ではまずその人々によって神を礼拝します。しかし、それで終わってはなりません。主は「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」(マルコ16・15)と遺言なさいました。ですからその人々は出て行き、福音を宣べ伝える活動を始めたのです。
よく言われることですが、日本のクリスチャン人口は一%の壁を超えられないでいます。どこにその理由があるのでしょうか。日本の長年にわたる異教的風習、江戸時代から受け継いでいる地域の結束、この世的な価値観など、多くの理由をあげることが出来ると思います。
最初に述べたふたつのこと、礼拝と宣教(伝道)がしっかりなされていたら、その壁を破ることが出来ていたのではないか、出来るのではないかと思います。礼拝が、初めて来られる方にも受け入れられるようなものなのか。教会員の自己満足的な儀式や意味の分からない讃美歌で終始していないだろうか。受付のあり方、会堂の照明、換気、衛生的なトイレ、礼拝のプログラムなど焦点を彼らに合わせていく必要があるでしょう。
もうひとつは宣教・伝道です。教会がいつの間にか内向きになっているのを感じます。牧師は役員の顔色を伺い、役員は自分達のやりたいことを企画し財を用います。でも教会の外には福音を知らずに滅びに向かっている人々でごったがえしているのです。外に目を向けないで、伝道をしないと教会に来る人は限られ、次第に礼拝もさびしいものになっていきます。
教会は「聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体(教会)を造り上げてゆき」(エフェソ4・12)にあるのですから、私たちの教団に属する教会だけでなく、日本中の教会がそのことに励むなら、一%の壁を破って前進していけるのではないかと思うのです。主のみこころは「すべての人々が救われる」(一テモテ2・4)ことですから、聖徒(信徒)を整え、伝道の業に励むことでしょう。

一、継続されねばならない

ヨシュア記一章を見ると、「モーセが死んで」「ヌンの子ヨシュア」に主が仰せになりました。
つまりモーセからヨシュアにバトンが渡されたのです。信仰は、アブラハム、イサク、ヤコブと継承されていきました。
同様に伝道の働きも人から次の代の人へと引き継がれていかねばなりません。主の弟子たちからパウロに、そしてさらにテモテにと受け継がれています。
私たちの信仰と伝道の働きも前の代の人から引継ぎ、そして今、私達の次の代の人々に引き継いでいただこうとしています。
次の代の人々を整え、奉仕の働きへと向かわせることが出来ないと将来がありません。
私たちの子どもたちは信仰を継承しているでしょうか。
そして伝道の業にあたっているでしょうか。
主よ、継続されるようお助けください。

二、人の服従

主はモーセに継いでヨシュアを立てました。そして言われました。「あなたはこの民すべてと共に立ってヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている土地に行きなさい」。ここに従うべき三つのことが記されています。
『立って』  仲間だけで座り込んではいけません。教会が親しい人々だけのクラブと化し、楽しい交わりに明け暮れするようになると、新しい人々は入りにくく、彼らは一度は教会に来ても再び戻ってはこないのです。
伝道のために、救霊のために立ち上がりましょう。
『渡り』  ヨシュアたちはヨルダン川を渡るようにと言われました。そして渡りました。橋のない川を渡ったのです。大勢の民を率いて渡ったのです。
伝道しようとすると幾つもの川、障害、阻めるものが出てきます。それを恐れてしりごみしてはなりません。
人材がない、財もない、時もない。ないないづくしで、伝道する気力もないではどうにもなりません。
伝道のために、救霊のために障壁を乗り越え、渡って行きましょう。
『行く』  与えようとしている地へ行くのです。行くためには勇気が必要、体力が必要、気力も必要。忍耐もいります。さらに信仰が必要です。
「あなたたちの足の裏が踏む所をすべてあなたたちに与える」と言われるのです。マルコ16章にあるように「全世界」が対象です。しかし、実際には世界の隅々まで私たちが足を運ぶことは出来ません。出かけていく宣教師のために祈り、支援しましょう。
でも私たちが行ける所へは行きましょう。足を運びましょう。足の裏で踏んで行きましょう。
キリストに関する文書、チラシ、トラクト、教会案内を配るために、一軒一軒歩きましょう。犬にほえられながら、「こんなものいらないわよ」と浴びせられる声を耳にしながら、歩くのです。足の裏で踏んで、配布するのです。
家庭を訪問しましょう、病院を訪ねましょう、施設に足を運びましょう。そこには私たちが行くのを待っている人々が必ずいるのです。

三、神の業

主よ、あなたの仰せに従えるようお助けください。
私たちが立ち上がり、川を渡り、出かけて行き、足の裏で踏んでも、そこに神の業が伴わねば成果を見ることは出来ません。「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないのです」(一コリント12・3)と聖書は言っています。
ヨシュア1章3、5、9節には神ご自身が臨んでおられる姿を見ることが出来ます。神はじっとしておれないのです。神は私たちと共に伝道の業、宣教の業にあたってくださいます。
しかも主と共に、主のために、主の業にあたることは光栄なことです。実りの豊かなものです。「動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです」(一コリント15・58)
日本基督教団の教会が「伝道・宣教」に心燃やして行くならば、日本のキリスト教界(教会)は大きな変革をもたらすことでしょう。「霊に燃えて、主に仕え」(ローマ12・11)てまいりましょう。
政財界が混沌としている現在、教会は純真な信仰(二テモテ1・5)をもって教会の業に取り組んで行きましょう。
(赤坂教会牧師)

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