九月中旬、遅い夏期休暇を戴き、N教区・A教会の礼拝と修養会を担当させて戴いた。
A教会は、戦後の農村教会で、普段は一〇人余の礼拝出席。しかしこの日は、会員の祈りを主が祝し、倍以上の出席。
午後の修養会には、近隣教会からの出席もあり、終了後は明るくその教会を辞した。
翌日は、あるキリシタン殉教遺跡を訪ねたが、その遺跡近くの狭い道に面してB教会があった。少し立ち寄ったが玄関は開かず、何となく居住感がなかったが、ポストに「祝福を祈ります」と書いた名刺を入れさせて戴いた。
帰宅後、教団年鑑を見ると、無牧で、統計除外の教会でもあった。しかし、日曜午後には礼拝が守られていることを後で聞き、少し安心した。
その翌日は、この三月で牧師が隠退され、無牧となった私の母教会であるO教区・C教会を訪ねたが、教会案内板の前牧師の名前は当然としても、祈祷会の時間までが、白ペンキで塗り消されていた。つまり、祈祷会も休会せざるを得ない状況なのだろう。
このように、休暇中だからこそ、普段は接することのできない三つの教会の、ある一面を知ることができたが、これらの教会は、数字上は教団の平均の半分くらいか、それ以下の教会と思われる。
この現状を知り、常議員会等で協議される内容が、これらの教会とどう直結しているのかを深く考えさせられた休暇であった。
(教団総会副議長 小林 眞)