十五回目を迎える関東教区教会高校生キャンプは四三名の参加者を得て行われた。
昨年から引き続き草津にある元ハンセン病患者の療養施設栗生楽泉園について学んだ。昨年はハンセン病について、また草津でのハンセン病療養に関わったリー女史についての知識を学んだ。今年は、実際に楽泉園に伺い施設内にある聖公会・聖慰主教会の方々との出会いを体験した。
正直なところ、主催する側にも不安がある。どれだけ伝えることができるのだろうかと考えると二の足を踏んでしまう。そんな時、神学生時代に夏期伝道実習の一環で伺った邑久光明園で出会った元ハンセン病患者の方の「私たちが居なくなってしまう前に、子どもたちをこの場へと連れて来て欲しい」という言葉を思い出す。何ができるというのではなく、連れて行くことだけで使命を果たせるのでは、と考えた。
「たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます」(コリント二4・16)は、訪問時に講演をしてくださった自治会長(聖慰主教会会員)藤田氏の慰めの聖句。他の療養所施設とは違い外部との行き来が比較的自由であったと仰っていたが、半世紀以上施設の中で暮らさなければならなかったことはどれだけ苦悩であったか分からない。入所者の平均年齢は八〇歳。しかし、藤田氏だけでなく教会で共にお食事をしたご婦人の方々も生き生きとした力を持っておられた。藤田氏は子どもたちに向けて「今をしっかりと生きる」ことを繰り返し勧めて下さった。命のあることを感謝して、今を生きてゆくように、と。
楽泉園の訪問を受けて、子どもたちはその感じたままを森牧師(狭山伝道所)の指導によるフィンガーペイントで心を表した。子どもたちの中には、楽泉園に行くことを不安に思っている者もいた。どの様にして向かい合えばよいのか分からなかったからだ、と。しかし実際には聖慰主教会の石浦さんや婦人の方々の温かい歓迎で、不安な思いを取り除くことができた、と告白してくれた。一つ紹介する絵は佑太君の絵だ。両脇の暗闇、そして中央の道は光に向かっている。今の心境を表している。十八歳の心の不安、しかし光に向かって歩んでいきたいとの信仰が表現されている。
「知らなかったことは罪?」なのか。見て見ぬ振りをすること、知らない振りをすることは罪である。今、私たちは一つのことを知った。子どもたちは明らかに変わった。知らないでいることは、勝手な偏見を生む。知ろうとすること、そこから変化は起こっていくのだろう。神との関係も。(小池正造報)