キリストと教会に仕える
松原葉子さんはクリスチャン・ホームで育ち、幼い頃から教会に通っていた。小学校二年生の頃、体が少しずつ動かなくなった。治すためでなく、ただ原因を追究するために転々と病院をめぐる生活が続き、家族に励まされながらも、ショックと不安が葉子さんを襲った。その時から「イエス様、どうにかして」と神と格闘するような祈りの生活が始まった。その祈りを抱えつつ出席していたある主日礼拝で、葉子さんは御言が自分に迫ってくる経験をした。神の語りかけを聞き、イエス・キリストの十字架により、受容されている自分を知った。そして中学生の時、洗礼へ導かれ、「神は私に何を期待しているのか」「この先どのように生きたらよいのか」を真剣に祈るようになった。
その後不思議な導きで、奉仕への道が開かれていった。もともと幼い頃からピアノを弾いていた葉子さんは、教会の礼拝で、オルガンの奏楽奉仕をするようになった。ある時、パイプオルガンの演奏者が、彼女の讃美演奏を聞き感動して、音楽大学でパイプオルガンの講習を受けることを奨めた。葉子さんは「神様に用いられる喜びを与えられた」と言う。
音楽大学へ入学した葉子さんは、ただ主に信頼し、主に献げて生きる喜びを「どのようなときも、わたしは主をたたえ わたしの口は絶えることなく賛美を歌う」と詩編の聖句で言い表している。現在、葉子さんは富山鹿島町教会のオルガニストとして奉仕し、車椅子生活の中、全国各地の教会にも遣わされて行く。礼拝の奉仕に向け、御言に聞きながらの奏楽準備が葉子さんの生きた聖書日課となっている。またパイプオルガン、リードオルガン演奏の傍ら、オルガン曲の創作活動も行う。このように様々な仕方で讃美の証を伝えるため遣わされつつ、葉子さんは「神様から試練が与えられたのは、このためであった」と語る。葉子さんをして語り得る証の言葉である。