神は偉大、小さい私
井上 春菜
(河内長野教会員)
私が牧師である夫と結婚して気付けば八年余りの月日が流れました。まだまだ生まれたてのひよこのような気もしますし、あまりにも濃密な激しい日々を送って来てもう人生の折り返し地点に立っているかのような錯覚さえ感じます。私はまさか自分が「牧師夫人」と呼ばれる人として生きていくことになろうとは夢にも思っていませんでした。十代の頃、牧師家庭のイメージは、私にとって歌舞伎の世界のように特殊で閉ざされた世界でした。牧師夫人は必然的にまるで相撲部屋の女将の如くハードな涙の陰の働き手と想像していたのです。母教会の牧師夫人が何でも出来てよく気が付き、チャキチャキ仕切り上手な方だったためかも知れません。その後今迄およそ300人の牧師夫妻との出会いに恵まれて百人百色である事を知り、精一杯用いられたらオリジナルでもいいという事に気付きました。私はクリスチャンファミリーで育っていないので想像する他ありませんでしたが相当覚悟しているつもりでも現実は想像以上でした。しかし振り返ってみるとあちらこちらで種が蒔かれていたのです。
私は幼少期を父の赴任によりスイスで育ち、その頃母に連れられて初めて教会を知りました。私達家族を優しい御夫婦が導いて下さいました。そして自発的に通うようになったのは帰国後の小学生の時。熱心に誘ってくれた韓国人のお友達がきっかけでした。大人になって再会した恩人の一組は有名なカルヴァン学者のお爺さん夫妻、もう一人は立派な信仰者でした。時を経て私が牧師になる人と結婚した事を心から喜んでくれました。神の摂理とは本当に不思議です。それから両親、私、そして妹と全員が受洗に至りました。そして最後には祖父母や従姉、叔母までも数年の間に神様の救いに導かれました。私にとっては奇跡の恵みです。女ペテロとあだ名が付く程私はごく自然に友達を教会に誘っていました。神様の存在を知ってしまったからそうせずにはいられなかったのです。実は放蕩息子だった夫もその中の一人です。
母教会は東京の山手線の真ん中、一等地にある牛込払方町教会です。結婚してヘボン先生が宣教された長老教会で最も古く繁華街にある横浜指路教会で過ごし、今は大阪の最南、自然が豊かな地域にある河内長野教会に仕えています。幼稚園や中学高校の学園を生み出した大きな希望を抱いた教会です。それぞれの教会がとても個性や特徴がはっきりと違ったので大変良い経験になりました。その間に夫の留学でフランス、アルザス地方のストラスブールという世界遺産の街で暮らしました。少数派のプロテスタントの中でとても貴重で夢の様な時代でした。今夏からは米国ミシガン州へ行くことになり、思いもよらない展開に思わず目眩がしています。
改めて日記を見返すと一日も来客や電話のない日がなく毎日驚きと発見と感動の連続でした。葛藤や矛盾や不安を沢山抱えつつ予測不能な事が起こる日々を試行錯誤を繰り返しながらもなんとか乗り越えられたのは神様の力です。昨今信仰の継承の困難が叫ばれ、信徒も然りですが牧師も志す方が少ないそうです。私より年下の牧師夫人を二人しか知りません。全世界の牧師夫人を心から尊敬致します。神様の究極の愛を全ての人が受け入れ、主に喜ばれる世界が来ますように!と心から祈ります。