神奈川教区を最後に教区総会が終った。差異はあるものの各教区で未受洗者への配餐をめぐる論議が展開された。
幾つかの教区では「勧告を取り下げ、教団として聖餐について論議する場を設ける」、そうした要望に基づく議案が承認された。
それらは教団総会に提案される。従って第36回教団総会は、さながら「聖餐総会」の様相を呈するであろう。
違法聖餐問題なんかを持ち込むから、営々と積み重ねてきた教区の一致を破ることになってしまった、議長としてどう責任を取るのかとの声を聞いた。
そして「合同教会の豊かさのために聖餐の多様性は確保されるべきだ」として未受洗者への配餐を正当化する意見も耳にした。
しかし合同教会の豊かさとは何かを改めて考えてみなければならない。合同教会の本質は「まことにして一なる教会」であろう。
昨今、一なる教会を強調する余りまことなる教会を犠牲にしてしまう傾きがあるのではないかと思わせられる。
「告白は一つ、証しは多様」ということが明確にされてこそ合同教会の豊かさは保持されるはずだ。それが、「証しは一つ、告白は多様」に捻転してしまう危険がつきまとう。
「一致の中に真理があるというよりも、真理においてのみ一致は可能である」とはボンへッファーの言葉だ。多様性の豊かさが相対化による崩壊にならぬように願う。
(教団総会議長 山北宣久)