【4582号】「聴く」難しさを学ぶ 教団教誨事業協力会

去る六月六日、七日の二日間、熱海駅近くのホテル熱海閣に於いて、日本基督教団所属教誨師の働きを支援する教団教誨事業協力会主催の教区代表者会及び東日本教誨師研修会が開かれた。
一日目開会礼拝後、講師として招いたルーテル学院大学総合人間学部、西原雄次郎教授により『聴くということ』という主題の下で研修会が開かれた。
教誨師として矯正施設に遣わされ、常に被収容者と向き合うことが求められている教誨師が、個人教誨などにおいて、困難な状況に置かれている被収容者のもつ様々な問題を理解し、指導、助言を与えるために、「如何に聴くべきか」という点についての有意義な研修の時を持つことが出来た。
同志社での学生時代、恩師に当るデッソー教授による面接実習の指導を厳しく受けられた西原氏は、心に傷をおった少年たちを収容する児童養護施設におけるスーパーバイザーとして長年関わって来た個別援助の仕事を通し、「聴くということ」が如何に大切であり、同時に、如何に難しく、我流に陥り、失敗を犯しやすいものであるか、そのためにも面接技術の向上を目指し、指導訓練を受ける必要があることなど、鍵は「傾聴」という姿勢にあることを語った。講演後、教誨の現場において教誨師が抱える問題について質疑応答がなされた。
一日目、夕食時に新任教誨師、教区代表者、教団伝道委員等々の紹介、スピーチなど交わりの時があり、夕食後、教区代表者会が開かれ、北海、沖縄両教区を除く教区からの活動報告がなされ、教誨師の働きについての報告と同時に、教誨師の教区・分区との関わり、教区・分区からの援助などについて報告がなされた。
翌七日、朝の礼拝、朝食後、「任用の手続きと当面する教誨事業の諸問題についての協議会」が開かれ、二時間の予定時間が足りないほど様々な問題が出された。
①「教誨マニュアル」についての中間報告。
②教誨師の交代について。
③教誨師の任免と教団・教区との関係について。
④キリスト教教誨師の全国教誨師連盟(全連)との関係について。
⑤来年六月開かれる全連五〇周年記念大会報告。
⑥教団の宣教を担う関係諸団体としての教誨事業協力会の有り様についての確認、ほか、である。
最後に、閉会礼拝にて、み言葉にかえり二日間の会を閉じた。
(深山祐報)

【4582号】「部落解放の祈りの日」運動推進 部落解放センター運営委員会

第34総会期第二 回部落解放センター運営委員会が教団会議室にて六月七~八日開催された。
新年度最初の委員会でもあり、二〇〇四年度センター会計決算、および二〇〇五年度の会計予算案を審議し、それぞれ承認された。全国の教会・伝道所・個人・諸団体より解放センターを覚えて活動献金が献げられており、年度目標額を達成することができた。また、昨年末に起こったスマトラ沖地震による甚大な津波被害を受けたインド南部のダリッド村への支援も、全国より多くの献金が献げられたとの報告がなされた。それぞれ感謝である。
今後の取り組みとして、「教団部落解放基本方針」具体化のために毎年七月第二主日と定められた「部落解放の祈りの日」運動を昨年以上の教会・伝道所で実施されることを、また、いずみ教会で開催予定の「第八回部落解放青年ゼミナール」への積極的参加を促すことを、それぞれ確認した。部落解放を教会の大切な宣教課題としてゆくためにも、毎年の「部落解放の祈りの日」運動に各教会・伝道所は積極的に関わっていただきたく願っている。
ところで今年五月末に、東岡山治、谷本一廣両委員が、UCC(アメリカ合同教会)とUMC(米合同メソジスト教会)の各教団本部へ、日本の部落差別の現状報告と解放センターへの支援および宣教師派遣のお願いに出かけたが、その報告の中で、アメリカの教会では教団部落解放センターの働きに対して高い関心を示しておられるとのことである。海外のキリスト教会から部落解放センターとその働きが覚え祈られていることに委員一同、大いに励まされた。
ところでアメリカからの帰国直後、谷本委員は手足の痺れを訴えて入院し、現在も入院療養中であるが、幸い快方に向っていることをこの場を借りてご報告させていただきたい。

(早瀬和人報)

【4582号】『三宅島伝道所』五年ぶりに礼拝 第三八回伊豆諸島連合修養会開催

第三八回を数える伊豆諸島連合修養会が、「新島で伝道を語ろう」の主題のもとに、六月七~八日、新島教会(東京都新島村本村)に於いて開催された。参加者は五六名。東支区をはじめ、東京教区内の全ての支区から集まった。
開会礼拝の後、各教会の現状報告がなされた。
今回特に時間を割いて報告されたのは、今年二月に避難解除となり、本格的に島民の帰島が始まった三宅島についてであった。
三宅島伝道所代務者の河合裕志牧師(西新井)は、二〇〇〇年七月以降休止していた同伝道所の礼拝が、五月二日に再開された様子を、次のように報告した。
「礼拝には一二人が出席した。倉橋康夫牧師(富士見町)による『小さな群れよ、恐れるな』と題する説教、自分(河合)の司式による聖餐式が、それぞれ行われた。会堂がある区域は、未だに立ち入り禁止になっているため、民宿の一室を借りて礼拝している。防毒マスクの手放せない状況の中、今度いつ、どこで礼拝が守れるのかは、未定である。しかし、小さな群れが礼拝を守ることの恵みを感じている。また民宿などを借りて、礼拝したい」。
同伝道所のメンバーを励ますために持たれていた「三宅島伝道所の集い(救援委員会主催)」は、この礼拝再開をもって、その役目を終えた。
その他、特に取り上げられたのは、伊豆七島内での教会の状況。特に、兼牧のために大きな課題を負っている新島教会の問題が取り上げられた。間に海を挟む兼牧(新島教会と大島の波浮教会など)の現実は、本州などからはうかがい知ることのできない課題が山積していることが示された。 信徒からは、「台風などで海が荒れると、礼拝に牧師が来られない」、「相談したいことがあっても、牧師が島にいない」など、教会に常駐する牧師の必要性を訴える声が上がった。
一方、米倉美佐男東支区長(聖和)からは「それぞれの教会ができることをした上で」という見解が示され、竹井真人牧師(波浮・新島)も、現状では経済的にも専任の牧師を招聘できない状況を訴えた。会場からは「年金の百円献金のような形で、島の教会を支える運動ができないか」との意見も出され、積極的に取り組む姿勢が見られた。本州に届きにくい「島の教会」の状況が、教会員の生の声も含めて報告された事は得難い経験との声も多かった。
報告の後は新島教会の子供聖歌隊の奉唱があり、伝道の困難な地でも、教会の働きがなされていることが証された。宿泊所となったロッジでは、分団の時を過ごし、それぞれが感じた伝道の課題を分かち合う交わりが持たれた。
台風の近づく中、閉会を繰り上げることとなったが、実りの多い時であった。
(辻順子報)

【4582号】100万人のキリスト者が集まった ドイツ・ハノーファー キルヘンタークを体験して

五月末に五日間の日程でドイツ・ハノーファーで行われた「キルヘンターク」の報告をしてみたい。「キルヘンターク」とは直訳すれば「教会の日」となるが、「教会祭」というのが一番ぴったり来るように思われる。キリストを信じる者が二年に一度集まって「キリストを祝う(つまりは「祭り」)というのが趣旨だからである。元々の起源は一九世紀末の敬虔主義的な信徒運動から始まったこの祭りに、今年は一〇〇万人のキリスト者が全国から集まった。この信徒運動は、ドイツ国内に留まらず、ヨーロッパ全体に広がる国際的な性格を持っていたため、第二次大戦中はナチから禁止されていたという経緯もある。戦後新たに数えて今回が三〇回目となる。信徒運動という性格故に「信徒大会」と訳すこともあるようで、「教会の公式の行事」ではなく、教会はあくまで経済的な後援を行うという慣例になっている。ドイツの教会の性格の一面を知るには、私のような外国人にとって、とてもよい機会であった。
複数の屋外会場に一〇万人が集まる開会礼拝から始まった。開会礼拝の感想を簡単に記すと、使われている讃美歌が大変に明るいものであるように思った。そこで作詞・作曲年を確認すると両方とも一七世紀のものだった。古いものに少し手を加えるだけでずいぶん感じが変わるのだなと思った。またこの教会祭のために新たに讃美歌などが作曲されたようである。
開催期間中、毎朝一時間の聖書研究が四〇のセクションに分かれて行われ、その後様々な行事や展示が開始する。パネル展示の数は実に七五〇以上、それだけの数の団体がドイツ福音主義教会の関係団体ということになる。もちろん市外から来た人たちすべてを収容するホテルの数はなく、ほとんどの人が寝袋持参で、学校の教室を借りてごろ寝をするのがこれまた「伝統」となっている。

「市場化」する教会祭

最近の教会祭の特徴を二つのキーワードでまとめると、「市場化」、「信仰と行為」となろう。
第一の点については、教会祭の拠点地として博覧会会場(メッセ)が用いられたということと関係する。おそらくかなり以前は宿泊場所である学校と会場である(市街地の)教会という二つの拠点地だったのが、教会会場を開催地に持っていない団体や教会会場では収まらない行事をこなすために、博覧会の会場が使われるようになるのである。この、パネル展示をするブースが集まった建物を「可能性の市場」と名付けるようになったのがいつからかは正確にはわからなかった。過去の資料をたどると、少なくとも一九七七年の段階でこの名前が使われている。しかし、その「市場」は当時よりさらに大きくなっている。そこでは、「客」がそれぞれに自分の興味にあった団体から資料をもらい話を聞いたり出し物で楽しむのである。
もちろん入場者からすれば一箇所に集中していた方が便利であるという一方で、電車で二〇分ほどかけないと、本来主会場である教会までは行くことが出来ない。結果的に、このような教会に本拠を持っている団体の催しに参加するためにはあえて足を運ばねばならず、「消費者」からすると「積極的に選択しなければならないもの」ということになってしまうように感じられた。そのような「市場外」の団体として、たとえば自由教会や改革派教会、それから同性愛運動の団体(会場は学校)があった。前回までは同性愛運動の団体の公式行事はなかったので今回は一つの変化があったことになる。ただしそこでの行事は事例報告が中心で、聖書的・神学的考察は主題となっておらず、日本の教会が参考に出来るような議論はまだ始まっていないという印象を受けた。
第二の点については、七〇年代、八〇年代はプログラムの傾向が「行動(アクション)」というキーワードであったのに対して、「信仰と(その応答としての)行為」という変化が認められることを挙げたい。社会的なアクションの基礎を確認するというのが最近の傾向だそうだ。同行してくれたシュナイダー牧師(シュトゥットガルト)から教えられた。

満員の八〇〇〇人会場

最も人が集まったのは二日目夕方、ケーラー大統領やフーバー司教団議長らが登場したシンポジウムで、開始前に八〇〇〇人会場が満員で閉め切られた。延べ三回ある聖書研究のうち一回、「霊性」をテーマにした聖書研究に参加した。本屋でよく見かけるカトリック神父による味わい深い奨励を聞くことが出来た。しかし私の捉えた限りであえて言えば、「霊性」は教会祭共通の基盤をなすものというよりは、「市場に並ぶ数ある選択肢の一つ」にすぎないようにも思われた。また「祈り」「説教」といった信徒の教会生活を支えるものがなお展示や講演からは見出しにくいようにも感じられたし、「伝道」というテーマについてはついぞ見つけることが出来なかった。ただ、「聖餐」についてはその例に当てはまらず、土曜に各教会で行われた聖餐式には通路を埋め尽くす人が集まってパンと杯を分かち合った。日曜日(最終日)に野外会場で行われた三〇万人からなる閉会礼拝の聖餐の様子と併せて、印象深いものであった。
会場は毎回持ち回りで次回(二〇〇七年)はケルン、次々回(二〇〇九年)がブレーメン、またローマ・カトリック教会との二回目の合同となる二〇一〇年がミュンヘンで行われると聞く。
領邦教会の威信をかけて行うだけに、教会ボーイ・ガールスカウトの手伝う姿にも力が入っていた。客として楽しむよりも主催者側の楽しみの方が大きいのではないか。訪問する楽しみと受け入れる楽しみという構図は家庭、そして伝道する教会と同じで、この教会祭にも見いだせるように思った。    (上田彰報)

【4582号】荒野の声

▼二昔も前のこと。重度の身体的障碍を持った方々と月一回の礼拝を一緒に守っていた。日常会話も不自由な人が多く、讃美歌を歌うことが困難なことだった。▼少し歌える人も、大幅に音を外す者に引きずられてしまう。一〇数人の讃美は、悲惨な状態になるのが常だった。讃美歌が無くても礼拝は成立する、そうも考えたのだが、メンバーは歌いたいらしい。▼ヒムプレーヤーは未だ持っていなかった。奏楽を録音したものを持参する。必死でこの音を聞いた。メンバーがトンデモなく外れた音を出しても、その声には耳を閉ざし、ひたすら奏楽だけを聞く、そんな器用なことが出来るようになった。メンバーには関係なく、一人で正しく歌えた。▼初めて正しく歌えたその瞬間に目が覚めた。何をやっていたのだろうと。これでは讃美でも何でもない。次の礼拝からテープも止めた。みんなで歌った。思いっきり音を外して、気持ち良く歌っている彼らの心持ちが、だんだんに分かってくるようだった。▼祈りについても同じこと。聞き取ることも難しい言葉に、しかし、心を打たれ、アーメンを言った。

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