【4911号】荒野の声

 参加している説教を学ぶ会で久し振りに自分の語った説教を分析してもらった。同労者が集う中で俎板に乗ることはやや勇気のいることだが、信頼できる仲間からの確実な手応えが帰ってくるので良い経験になる。▼提供した説教についての印象ではあるが、短い論理の連続、彫り(掘り?)の浅さ、と指摘されたことが気になった。記事を校正することや、このコラムを書くことが生活の比較的大きなウェートを占める中でのことであろうか、と思わされた。限られた文字数、行数の中で言葉を展開し事柄を伝えなくてはならないのが本紙の使命である。事柄を論理的に展開したり、言葉を費やし掘り下げ、メリハリをつけたりには自ずと限界がある。そもそも、そんなことは求められていないと言える。▼どのような言葉に触れてきたか、触れているか。激しい言葉か、優しい言葉なのか。怒りの言葉か、慰め、励ましの言葉なのか。これまで受けてきた言葉、今受けている言葉が語る言葉にも表れてくることがあるにちがいない。良い言葉に聞き続けなくては、と思う。教会を建て上げて行く言葉に聞き続け、語らなくては、と改めて思っている。

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