【4897・98号】メッセージ 光を見る 詩編36編1~13節 雲然俊美

【指揮者によって。主の僕の詩。ダビデの詩。】

 神に逆らう者に罪が語りかけるのが、わたしの心の奥に聞こえる。彼の前に、神への恐れはない。自分の目に自分を偽っているから、自分の悪を認めることも、それを憎むこともできない。彼の口が語ることは悪事、欺き。決して目覚めようとも、善を行おうともしない。床の上でも悪事を謀り、常にその身を不正な道に置き、悪を退けようとしない。

 主よ、あなたの慈しみは天に、あなたの真実は大空に満ちている。恵みの御業は神の山々のよう、あなたの裁きは大いなる深淵。主よ、あなたは人をも獣をも救われる。神よ、慈しみはいかに貴いことか。あなたの翼の陰に人の子らは身を寄せ、あなたの家に滴る恵みに潤い、あなたの甘美な流れに渇きを癒す。命の泉はあなたにあり、あなたの光に、わたしたちは光を見る。 《詩編 36編1~10節》

光はある

 「のぞみはありません」

 「……」

 「けれども、ひかりはあります」

 この会話で、どのような場面を想像されたでしょうか?

 実はこれ、JR東海道新幹線が停車する駅の窓口での会話であったとのこと。なかなか意味深長な会話であると思います。

 昨年11月、妻の父親が天に召されました。教団の隠退教師でした。同じ年の2月に連れ合い(妻の母)が召され、一時気落ちしていた様子であったのですが、その後、元気を回復してきたかなと思っていたところで、癌の治療で入院となりました。

 義父は高齢(90歳)で、やがて治療方法も無くなってしまい、最後にホスピスに移りました。そのホスピスでは礼拝が持たれていました。義父は自分からその礼拝で説教することを申し出て、娘に自宅から背広を持って来させて、説教をしたのです。

 「あの神の子、御子、尊いイエス・キリストが、あの苦しみのもとで、我々を救いの道に導きたもうた。うれしい。ありがたい。そんなイエスは、『心配するな。今日、あなたがたは私と一緒にパラダイスにあるのだ』とおっしゃってくださるのです。…ああ、うれしい、なんとうれしいことでありましょう」。

 この説教の一週間後に義父は静かに天に召されました。義父には、健康を回復するという望みはありませんでした。けれども最後まで、自らを照らす光を見、それを証したのです。

 望みはなくても光はあるのです。

 

世の根源を照らす光

 この世界は、創造主なる神さまが造られた世界であり、その根源には「光」があります。神さまが最初に造られたのは「光」でした。「神は言われた。「『光あれ。』こうして、光があった」(創世記1・3)。この「光」は太陽や月の光ではなく(それらは第四の日に造られます)、この世界の根源を照らし続けている「光」です。

 私たちの世界は、暗く深い闇に覆われています。何事か事件が起きるたびに、「社会の闇」とか、事件を起こした人物の「心の闇」といったことが言われます。「神に逆らう者に罪が語りかける」(詩編36・2)現実は変わっていないのです。

 しかし、神さまが創造された「光」が無くなってしまったのではありません。私たちは、暗闇の中で悩み苦しみを抱えて過ごさなければならない時があります。けれども、その闇の中で見えてくるものがあるのです。

 昨年9月の北海道胆振東部地震が起こった夜、北海道に住む高校生が、あるラジオ番組にメールを送りました。「地震の被害に遭った方たちにはすみませんが、星がきれいです」。地上の光が消えてしまったために、星の輝きがはっきりと見えたのです。それは、東日本大震災の夜もそうでした。また、阪神・淡路大震災の夜もそうであったと聞きました。まさに、「主よ、あなたの慈しみは天に、あなたの真実は大空に満ちている」(同6節)のです。

 普段、星の輝きが無いのではなく、地上の人工的な光が、星の輝きを見えなくしてしまっているだけのことなのです。神さまの光は無くなってしまったのではありません。私たち人間の身勝手な思いや罪が、神さまの光を見ることを妨げているのです。

 

まことの光の到来

 主なる神さまは、この世界の根源を照らす光があることを、私たち人間には想像もつかない仕方で示されました。

 私たちが一生懸命に光を求め、光を探すことによってそれを見出す…ということではなく、神さまの愛と知恵と力を注いで、この暗闇の世界のただ中に、尊い御子イエス・キリストをお遣わしくださるという仕方で、まことの光を示されたのです。

 「光は暗闇の中で輝いている。…その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである」(ヨハネ1・5、9)

 私たちが、何とか自分の知恵や力でこの世を照らす光を生み出そう、作り出そうというのではなく、ただ一方的な神さまの愛と恵みによって光がもたらされたのです。まことの光の到来です。

 主イエス・キリストこそは、「世々に先立って父から生まれ、光からの光」(「ニケア信条」『讃美歌21』より)であられるお方です。私たちは、この方の光に、まことの光を見るのです。それは、この世の暗闇にこそ近づく光です。十字架の死こそが私たちの罪の贖いであることを証しする光です。死の壁を打ち破る復活の光です。

 

光に向かって

 広島で被爆後、洗礼を受けられ、アメリカに渡られたサーロー節子さん(2017年にノーベル平和賞を受賞した核兵器廃絶国際キャンペーン所属)が、昨年11月に、母校の広島女学院で講演をされました。その中で、サーロー節子さんは、被爆直後の不思議な体験を次のように語っておられます。

 「…すさまじい閃光に包まれ、体ごとに吹き飛ばされました。意識を失った後、気が付くと辺りは真っ暗でした。…私はここで死ぬのだなと思いました。…そのうち、誰かに左肩をぐいっとつかまれました。…『あきらめるな。左のほうに光が見えるだろう。そちらに向かって急いで這って出るんだ』と励ますように言われました。言われたとおり、懸命に外に這い出ました…」(広島女学院のホームページより)。

 このようにしてサーロー節子さんは奇跡的に助かりました。彼女はそれから地獄のあり様に直面しましたが、その体験をもとに、核兵器廃絶活動を生涯の課題とされたのでした。

 サーロー節子さんが見た光は日の光であったのでしょう。けれどもその体験から、この世を照らすまことの光を見つめつつ、光に向かって進んで行く困難な活動を始めたのです。

 暗闇が覆い、支配しているこの世界の中で、私たちもまた、「あなたの光に、わたしたちは光を見る」(詩編36・10)との信仰を受け継ぎ、まことの光を見つめつつ、光に向かって歩みを進めてまいりましょう。 (教団総会書記/ 秋田桜教会牧師)

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