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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【4774号】宣教師からの声 番外編

2013年6月1日

北陸初の女学校を創ったメリー・ヘッセルと最古の幼稚園を設けたフランシナ・ポーター
梅染 信夫(北陸学院史料室長)

日本の本州中央部、日本海側に位置する富山県、石川県、福井県が北陸地方である。
明治初期、この北陸3県のプロテスタント・キリスト教に最も大きな影響を与えたのは米国長老教会(The Northern Presbyterian Church in the U.S.A.)から派遣されて金沢に来た宣教師のトマス・C・ウィン(Thomas C. Winn)とその妻、婦人宣教師のイライザ・C・ウィン(Eliza C. Winn)である。
メリー・ヘッセル
トマスは開拓伝道に従事するかたわら、私立男子中学校を開設して教えた。またイライザは孤児院を開いたりしたが、この地方初の女学校の開設を発想した。
この2人が長老教会のミッション・ボードに申請して金沢にやって来たのが婦人宣教師のメリー・ヘッセル(Mary K. Hesser、ドイツ語風にこう呼ばれた)である。
メリーは1853年、ペンシルベニア州エリー(Erie, Pennsylvania)に生まれた。父母はドイツ系移民のカトリックで、彼女はカトリックの教区学校とフリー・スクール(free school)で学んだ後、ドレス・メーキングをしていたが、25歳のときに、ウエスタン女子セミナリー(Western Female Seminary)に入学、82年に卒業し、校長の勧めによって婦人宣教師となって来日し、金沢に来た。
彼女が創設した金沢女学校は1885年4月に開校し、最初は先進的な教育を受けさせたいと願う親の子女が20数名集まったが、徐々に一般に知られるようになり、校舎の増改築を余儀なくされるほどに発展した。
しかしメリー・ヘッセルの学校経営は苦難の連続であった。すなわち、その頃から進められた教育の国家統制の強まり、これによる聖書の使用禁止、また良い教師が得られないこと、さらに一般の人々の無理解ややっかみがあった。
しかし彼女はカトリックからプロテスタントに転向した「信仰の人・祈りの人」であった。
彼女は「主を畏れることは知恵の初め」(詩編111・10)という聖句を学校標語に掲げ、新しい時代に働く女性の育成に力を尽くした。彼女は母校のセミナリーから2人の後輩を送ってもらい、教育課程を改定したり、校名や制度を改定するなどして教育の充実を図った。
このようにしてメリー・ヘッセルは北陸学院の創立者となり、その基礎を築いたが、その体は激務に耐え得ず、1894年カリフォルニアで天に召された。41歳の若さであった。
フランシナ・ポーター
上記のメリー・ヘッセルの金沢女学校の創設に触発されて、北陸地方初の幼稚園と私立小学校を創設したのがフランシナ・ポーター(Francina C. Porter)である。
フランシナは1859年、テネシー州のライスヴィル(Riceville)に生まれ、テネシー州メリーヴィル・カレッジ(Merriville College, Tennessee)で英語学を専攻し、1882年に卒業して米国長老教会婦人宣教師となり、同じ教会の宣教師として1年前に来日し金沢に来ていた兄が校長をしていた学校で英語を教えた。
彼女は最初、幼稚園と小学校を含む「子供の学校」(Children's School)の開設を目指した。
当時、北陸には幼稚園も私立の小学校もなかった。彼女はトマス・ウィンの紹介で東京の桜
井女学校にマリア・ツルー(Maria True)を訪ね、協力を頼んだ。ツルーは帰米し、幼児教育の専門家エリザベス・ミリケン(Elizabeth P. Milliken)を見出した。ミリケンは来日し、桜井女学校幼稚保育科の科長となった。
フランシナは名古屋の吉田エツという女性に会い、1年間幼稚保育科で学ばせ、英和幼稚園の保母主任とし、1886年に英和幼稚園が発足した。
小学校の方は、金沢教会に小学校の教師がいたことから、彼を中心にして、同じ年に英和小学校が発足した。
当時、日本における幼児教育理論は未成熟であり、適当な教科書がなく、キリスト者の教師が得られず、校舎が増改築を要するなど、困難が重なった。その上、幼稚園、小学校ともに、「キリスト教教育の危機という嵐」の只中におかれていた。
フランシナはその強固な意志と努力によって、全国でも類例の少ない幼児教育という難事業に取り組んだが、国家統制の力の前に、英和小学校は1903年廃校の止むなきに至った。
カリフォルニアで病気療養中であったフランシナはこれを聞いて一晩中泣き明かしたと伝えられる。
英和幼稚園の方はフランシナや彼女の後継者たちの知恵と尽力とによって今日まで存続し、現存するわが国最古のキリスト教幼稚園として先進的幼稚園教育を進めている。
病気癒えたフランシナ・ポーターは再来日し、京都に新しい幼稚園を開設するなど日本の幼児教育に尽くしたが、1939年カリフォルニアで天に召された。享年79であった。
-Kyodan Newsletterより-

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