家庭が貧しく、常に他人と自分を比べ、卑屈になることから自由になれなかった幼少期の宮島裕子さんを教会に誘ったのは、隣家に住む三浦綾子さんの義母だった。分け隔てない教会の交わりに接し、旭川六条教会に熱心に通うようになった。
3年程通った高校2年の頃に受洗。信仰の歩みを振り返ると、背後には、常に三浦夫妻の導きと祈りがあったという。
神様の御用のために働きたいとの思いから、教会付属幼稚園の先生を目指し、必死にお金を貯めて上京し、農村伝道神学校保育科に入学した。
綾子さんから渡されたお餞別の封筒には、一か月分の寮費、食費が入っており、「主の山に備えあり」との信仰を深められた。学生時代、夏休みは帰省し、三浦家で仕事を手伝った。
卒業後、東京で、先生が全員辞めてしまったという課題のある幼稚園で働くが、長くは続かず退職。挫折感にさいなまれつつ出席した故郷の礼拝で、綾子さんから「手伝ってくれるかい」と語りかけられたのが、秘書としてのスタートだった。
「綾子さんは、他人の長所を見る名人で、自らを他人のために献げることにおいて、決してブレない人だった」と宮島さんは語る。献金依頼があった全国の教会や施設を覚えて祈り、献金を送る姿、又、家出して来た若者を家に上げ、世話をする姿等が印象に残っている。
結婚を機に、北海道から茨城に引っ越し、勝田教会に転会。20年近く家庭集会を開き、長老を17年間担った。
東日本大震災の体験の中で、「自分に与えられた時には限りがあり、今、周りにいる人々に対して、人を生かす言葉を一つでも多く語って行きたいと願うようになった」。それは、綾子さんを通して示された献げる歩みに自らも生かされることであった。
現在は、教会奉仕の他、仙台の教会で開催される、三浦綾子読書会の講師を務めている。
北海道旭川生まれ。勝田教会員。