教区が主体となり、教区ならではの開拓伝道
教会を生み出す教区
西東京教区は現在JR立川駅周辺にて「教区が主体となって」「教区ならでは」の開拓伝道を試みています。
1999年に設立された西東京教区は、設立の理念として「教会を生み出す」ことを掲げました。しかし、教区になって10年、教会を生み出せないで来ました。2008年「めじろ台教会」が設立されましたが、この教会は西支区時代の親教会群制度に始まった「八王子めじろ台伝道所」がようやく実った結果でした。新規の開設としては、「阿佐ヶ谷恵み伝道所」一つでした。そこで、教区伝道部(当時は大村栄現議長が委員長)を中心として、教区が主体となって教会を生み出す方向が、2005年辺りから模索されました。
2005年から2007年にかけて、毎年秋に開催される「教区伝道協議会」(富士箱根ランドスコーレプラザ)では、「教区開拓伝道のビジョン」という主題を掲げて、「教区が主体となって」「教区ならでは」の開拓伝道の推進を図りました。
立川伝道開始
2007年の定期教区総会において、「教区開拓伝道準備委員会」が設置されて、開拓伝道の準備が本格的に始まりました。この準備委員会は、詳細なフィールドワークを繰り返し、立川駅周辺にて開拓伝道を行うことが望ましいとの“結論に達した”との報告を行いました。
この報告を受けて、2008年の定期教区総会では、「教区開拓伝道実行委員会」の設置と立川駅南口近く「レンタルスペース99+立川」を開拓伝道の最初の拠点とする決議がされました。2008年9月7日主日の夕方6時半より、夕礼拝が開始されました。以後、今日まで2百回以上休むことなく続けられています。
2009年の定期教区総会では、「教区開拓伝道実行委員会」の向こう5年間(2010年度~2014年度)の設置が決議され、さらに本格的な開拓伝道が開始されました。2011年2月1日に現在の地「立川伝道センター」(JR立川駅北口徒歩10分、春城ビル2F)に拠点を移しました。
ここは、南口では(日曜夕方の時間借りで)行えなかった「週日の集会」を開始することが出来ました。まず「教区開拓伝道をおぼえて祈る会」(毎月第4月曜日午後)を始めました。まだ人数は少ないですが、「伝道は祈りに始まって祈りに終わる」という思いをもって実行委員を中心に続けています。
2012年7月からは毎週水曜日午後1時~6時(第1水曜日は午後8時まで)「牧師面会日」を設けて、教職の実行委員4名と他の委員(教区伝道部)1名が交替で、駐在するようになりました。
伝道所開設
以上の経過に鑑みて、教区の常置委員会は伝道所を立ち上げる時期に至ったと判断して、2012年の定期教区総会に「『立川開拓伝道』を推進する件」を提案したところほぼ満場一致で可決されました。この段階では、「伝道所開設を目指して行く」というものでしたが、同年内に、準備と機運は高まり、11月25日、アドベント前の主日の午後、吉祥寺教会にて開かれた教区臨時総会にて、「立川からしだね伝道所開設」の議案が、これもまた満場一致で承認されました。
2013年1月20日、石橋秀雄教団議長、伊藤瑞男教団副議長、長崎哲夫教団総幹事を迎えて総勢64名が見守る中、大村栄教区議長(阿佐ヶ谷教会牧師)を代務者とする開設式が、真壁巌教区副議長の司式にて、厳かに執り行われました。
こうしてようやく、「立川からしだね伝道所」という一つの霊的な教会(伝道所)の開設にまで至りました。
多くの実を生むと信じ
しかし、喜んでばかりはいられません。この伝道所を主の体なる教会に育てあげねばならないからです。目下の課題は、「専従者招聘」と「朝礼拝開始」の実現です。夕礼拝出席者の中には、まだ少ないですが、求道者やしばらく教会を離れていた方々もおられます。
この町(東京の西郊)には収穫の実が多くあります。収穫を刈り取る“働き手”が少ないのです。伝道は、「無駄」と「失敗」によって進みます。人の計算で実現する業ではありません。神の業です。収穫の主なる神を信じて、ひたすら種を播き続けて、刈り取る働きに徹するとき、必ずや多くの実を生むと信じます。
教団は、37総会期に続き、38総会期も石橋議長の下「伝道に燃える教団」を目指します。立川における開拓伝道が一つの契機になって、停滞する日本伝道に“伝道の炎”を投じたいと願っています。
(道家紀一報)