北のガリラヤに生きる
私が愛し仕える七戸教会は、青森県南部内陸に位置する七戸町(人口約1万8千人)で唯一のキリスト教会です。新約時代のパレスチナの聖書地図を日本地図に置き換えて、東京をエルサレムとすれば七戸はずっと北のガリラヤの辺りと言えば分かりやすいかもしれません。
七戸は歴史ある町で、四季折々の彩りが美しく、特に冬には、遠く八甲田の山々が白銀に輝く様子を見渡すことができます。
今年(2012年)3月17日で創立105周年を迎えた七戸教会の歩みは、決して平坦なものではありませんでした。105年の歴史の約半分が無牧(代務・兼務)であったことも、教会が置かれた状況を物語っています。
東北の農村の閉鎖性は想像を超えた厳しさであり、かつて高名な社会活動家であり伝道者である賀川豊彦を迎えて伝道集会を行ったとき、聴衆のうちの決心者は100名を超えたのに、そのうちの1人も受洗に至らなかったという事実が、七戸伝道の困難さを示しています。
5年前に赴任してから、5回の葬儀の司式をさせて頂きましたが、教会員原簿に記録が残る召天者63名のうち31名が仏式で葬儀を行ったと記されています。このことから、身内でただ一人のクリスチャンが召天した場合、多くは遺族が仏式で葬儀を済ませるのだという現実を、教会は(牧師は)突きつけられているのです。
そんな中で、神の救いのご計画の計り知れなさを、深く感じさせられる出来事がありました。それは一昨年のクリスマスが近づいた寒い日のこと、見知らぬ女性がせっぱ詰まった表情で飛び込んで来て「父が昨夜亡くなったので葬儀をしてもらえないでしょうか」と懇願したのです。彼女は困窮していました。教会役員会は十分に話し合って葬儀をすることを承認し、彼女の父親の葬儀は司式の私を含む6人で自宅で行われました。
その日からこの女性Nさんの求道が始まり、1年余りの忠実な礼拝出席と学びの中でキリストの十字架は自分のためであると確信して洗礼の恵みに与ったのです。
七戸教会の現状は現住陪餐会員30名、礼拝出席者は平均18名。多くの教会と同様に教会員の高齢化が進み、心身に痛みを抱える兄姉も多いのが現実です。
けれども、七戸教会は希望に溢れています。それは、この教会においては高齢化は恐るべき事態ではなく〝今〟できる精一杯を献げようとの血肉になった深い信仰が、次の世代へ信仰を継承する力としてしっかりと働いているからです。
2011年から2012年4月までに3名の受洗者が与えられたことは、教会にとって大きな恵みであり喜びです。
この原稿を書いている牧師館の窓から8月の盆の行事である「送り火」を焚く煙が漂ってきて、ここが異教の地であることを否応なく感じさせられます。しかし、イザヤ書8:23は「異邦人のガリラヤは、栄光を受ける」と救いの預言を記し、主イエスは「異邦人のガリラヤ」から福音宣教をお始めになりました。
北のガリラヤのような小さな異教の町で唯一つのキリスト教会である七戸教会を守り続けてくださる神にお応えして、この地で福音を伝えていく群れでありたいと切に祈ります。