【4749号】能登半島地震被災 羽咋教会会堂 … 能登の喜びを東日本に … 献堂式 

能登半島地震被災教会最後の再建、羽咋教会の献堂式が4月30日行われた。
新会堂は、七尾線羽咋駅から徒歩10分弱、羽咋高校前の市の中心部にあり、1、000㎡の土地に鐘楼を持つ木造平屋建ての会堂と牧師館が並ぶ。
会堂は昨年11月末完成し、12月から使用を開始していたが、雪解けを待っての献堂式となり、春を待ち兼ねたかのように、近隣の教会、中部教区、全国の関係者など、51教会184人が出席した。
会堂の扉を開け放って玄関ロビー、廊下に隙間なく椅子を並べ、あるいは別室でビデオ中継を見守る中で午後2時、献堂式が始まった。
「新しい天と新しい地」と題した式辞で内城恵牧師は、「能登半島地震の直後、5年後に羽咋教会の献堂式を迎えることが出来るとだれが考え、97年前に伝道所としてスタートした時、2012年に新会堂を建設出来ると、だれが想像し得ただろうか。私たちの祈りを主は叶えて下さった。
イザヤ書の『わたしは新しい天と新しい地を創造する』の御言葉が、会堂建設の間中、いつも心の片隅にあった。新しくされた建物という器だけでなく、切望する終末の希望を、建築の過程で見させて頂いた。新しい天と新しい地は、会堂を通して証しされた」と力強く述べ、虹のエピソードを紹介して結んだ。
「新会堂で礼拝を守るようになって主日礼拝で3度の虹を見た。虹は信仰者にとって特別な意味を持つ。初めて会堂を使用した12月第1主日。2度目はその翌週。3度目は東日本大震災1周年の3月11日早朝で、会堂の端から端まで掛かる大きな半円状の虹だった。聖書に虹は神と人間との平和の徴とある。
東日本大震災以来、多くの試練を経験したが、今こそ復活された主が来られることを切望し、新しい天と新しい地に生きる神に、キリストの教会として立つことが出来るよう祈り願う」。
’74年に建築された旧会堂は、能登半島地震で多数の亀裂が生じたが、元来、羽咋白百合幼稚園(現ゆりっ子児童クラブ)園舎として建設されたため、主日ごとにホールに講檀と椅子を並べ、礼拝を守って来た。耐震工事をどうするかの協議の中で、信徒が農地を寄贈したことから独立の新会堂建設へと進展し、総工費3、500万円の瀟洒な会堂へと結実した。
献堂式に引き続き行われた感謝会で、内藤留幸総幹事は、「北陸伝道に20年間携わった者として、感慨無量、万感胸に迫るものがある。神様のなさることは誠に素晴らしい。歴史の転機には、破局が起きる。それを克復した時に、新しい時代が始まる。能登半島地震被災教会支援の働きは終了した。能登での経験を活かして、東日本大震災に取り組んで行きたい」と語った。
続いて挨拶に立った長山信夫・銀座教会牧師(能登半島地震被災教会会堂等支援委員長)は、「能登半島地震の全国委員会は、中部教区、能登伝道圏の教会の熱意に本当に支えられた。会堂がどうしても必要なのだという熱意無しには、募金運動は進まなかった」と述べた。
小宮山剛・逗子教会牧師(元中部教区被災教会再建委員長)は、「24年前に能登に赴任したが、羽咋の人たちが会堂建設を熱望しているのを聞いて、それは不可能なことだと感じた。神様は本当に生きていることを今日感じた」と語ったが、何人かの人が同様の感想をもらした。
会堂全体を立錐の余地なく埋めた出席者が、感謝会でも茶菓に手をつけようともせず、祝辞に大きくうなずき、時に目頭を押さえていたのが印象的で、9人の祝辞の後に立った川原潤長老は、「万感の思いで皆様のご挨拶を聞いた。神様はいつも私たちとともに歩んで下さった。全国諸教会の熱い思いと支えで会堂建設は達成出来た。20名ばかりの小さな教会だが、地域伝道に邁進して行く」と会員を代表して決意を語った。
能登半島地震発生以来5年余。被災教会の支援は、2教会1伝道所の会堂、3教会牧師館を再建、2教会会堂、2幼稚園の改修すべてが完了した。
(永井清陽報)

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