1988年、中国・蘇州生まれ。藤本壮介建築事務所スタッフ。柿ノ木坂教会員。
蘇州は、上海からほど近いところに位置する比較的温暖な地で、運河が町中を行き巡る風光明媚な町である。第一線を退いた有力者たちが蘇州で過すことも多いそうだ。この町に沁芸さんは生まれたが、両親に連れられて4歳で日本にやって来たので、この町に過した記憶はわずかである。沁芸さんの幼少期、少女期、青年期のそれは、富山、横浜、東京となる。
日本語には何の不自由もない。両親は蘇州地方の方言も使うが、沁芸さんには聞き取ることはできても、しゃべることは日本語ほどには自由ではない。中国語を覚えることも必要と考えた両親は、小学校5年から中学まで、沁芸さんを横浜山手にある中華学校に学ばせた。
横浜山手という地域、また一緒に学んだ学友とその家族に少なからずキリスト者がいたことが沁芸さんのキリスト教との出会いであった。再び、高校、大学と日本の学校に学び、高校で出会ったキリスト者の養護教諭が沁芸さんを教会へと結び付けてくれた。大学2年生のクリスマスに洗礼を授けられた。
美術、物理への関心から大学では建築に進む決心をした。特に教会建築への興味にはキリスト者とされたことが大きな意味を持つことになった。大学院の修士設計では中国近代建築史を研究した。イエズス会が中国に建てたバロック様式の会堂が中国近代建築の礎としてあることに着目した。今後、中国だけでなく、アジア、ロシアに広がる近代建築を教会建築との繋がりを含めて歴史的に探究したいと考えている。人生の長い時間を展望したライフワークである。
今春からは、これまでインターンとして勤めてきた建築事務所のスッタフとして採用された。任されたプロジェクトの責任を果たすことが目下の目標である。上海の南、寧波に建つ高級リゾートホテルの基本設計に取組んでいる。駆け出しの今は、実務と学究、双方が大切と、沁芸さんは考えている。