1940年生まれ。元アジア学院院長、元国際基督教大学教授、牛込払方町教会員。
熱心なクリスチャンの家庭に生まれる。言論統制下の戦時中、教師だった父は子供たちに事実をありのままに作文させる「生活綴り方運動」に加わり、雑誌に軍部批判を書いたために捕まったこともあった。父が獄中にあり、母は勤労奉仕の間、一歳に満たない田坂さんは、松の木に括り付けられていたため低体温になった。そのため母から、繰り返し、「一度は失いかけた命を助けられたのだから、神様から任された使命がある」と言われて育ち、大学3年で受洗。幼い頃の母の言葉が、信仰を与えられる素地となったと振り返る。
大学では、有機リンの化学を専攻。松本サリン事件の際には、最初にサリン説に言及し、マスコミで注目されたこともある。1970年に国際基督教大学の教員となってからは、自然界に放出された有害化学物質を調査することに専念。カネミ油症事件で問題となったPCB、農業用殺虫剤として大量に使われてきたDDT等の物質が、どの程度母乳に含まれ、胎児に影響を与えるのかを調査して来た。
研究年にタイの大学に行って以来、アジアの食物にどれくらい残留農薬があるかを調べ、安全な食を安定供給し、飢餓を救済していくための「興亜」を目指すことになった。有機農業を実践するアジア学院の教員となり、卒業生が活躍する地域では、子供が飢えていない事実を知らされ、この働きの重要さを改めて認識する。
放射性物質についても警鐘を鳴らして来たが、福島第一原発の事故以来、一層、その問題を重く受け止めている。農薬にしろ、放射性物質にしろ、その背後には、人間の無制限の欲望が横たわっている。あくなき利益追求の背後で、最も犠牲を強いられるのは子供たちである。欲望のままに、神の秩序の中に無い物を作り出し、自然界に放出することによって混乱が生じている現実を見る時、「石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた」バベルの塔を思わずにはいられない。今、求められるのは、悔い改めと、悔い改めの実を結ぶことだと言う。