【4738・4739号】牧師のパートナー 間近に見ることができた恵み

釜土 蘭子
(七尾教会員)

1985年、七尾教会に転入会した時にわたしは一番若い現住陪餐会員でした。自分に一番近い教会員でも10才以上離れていました。礼拝出席者も20人に満ちません。東京生まれの私にとっては、都会とは全く違う様々な状況に驚かされる毎日でした。
人口5万人ほどの七尾市。住んでいる人々はお互いのことをよく知っています。教会に新しい来会者があると、それが七尾在住の方であれば、その方がどなたであるかだいたい分かります。匿名の信仰生活などない社会です。
小さな教会は、一つの家族のようです。互いのことをよく知っています。その中でそれぞれが自分の役割を担っています。家族の中でキリスト者は一人だけという状況で、教会の礼拝に集っています。家族の顔色をうかがいながら、教会の奉仕をしています。
牧師のパートナーといっても、一人の教会員にすぎません。教会としてすべきことがあり、誰かがしなくてはいけないことがある。その時にできる誰かがその役割を果たすしかないのです。
しかし、牧師のすぐそばにいるということは、少し特殊なこともあります。
2007年3月25日。奇しくも日曜日。教会学校の子どもたちと共に礼拝をまもっていた時に起きた能登半島地震。当日は何が起こったのか、よくわからないまま一日がすぎていきました。
牧師の身近にいると他の教会員よりも早く情報が入ってきます。
地震からしばらくたって、たいしたこと無いと考えられていた建物の被害が、実は違うことがわかっていきました。少しぐらいのひび割れでこのままこの建物を使うことができるのだと、教会員が皆思っている時に、実は地盤が傾いていることを聞きました。建て直さない限り、次に地震があれば倒壊するおそれがあるとも聞きました。強風や大雪でも危ないかもしれないとも聞きました。建物倒壊の兆候を教えていただき、「その時はすぐ逃げてください」とのアドバイスもいただきました。皆をあまり不安がらせないように、気を配りながら説明したり、話したりする毎日でした。
他の方々よりも先に恵みを与えられることもあります。能登半島地震の時には、全国からたくさんの方が能登を訪問してくださいました。励ましのお手紙をくださいました。そして捧げ物をしてくださいました。それを誰よりも早く、そして間近に見ることができたのも、牧師のパートナーとしての恵みでした。
2011年3月、能登半島地震から4年がたとうとした頃、新礼拝堂は完成に近づきつつありました。残念ながら期日までに工事は完了せず、いくつかの工事を残したまま、使える場所から使うことになりました。一応の区切りとした工事完了日が、3月11日でした。七尾教会にとっての能登半島地震からの復興の時が、あの東日本大震災の時となりました。能登半島地震など比べようもないほどの大きな災害の前に言葉を失いました。ただ祈りを合わせました。
今、七尾教会の礼拝堂は元の場所に元と同じように建っています。七尾の小さな教会のひとりひとりは、これが神様の業であることを知っています。
現在、主日礼拝に集う群れの人数は26年前と同じぐらいです。けれども自分よりも年下と年上が半分ずつになりました。

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