… 主の慰めと助けを求める祈りと礼拝のとき …
911246、あの日あの時から半年。全てが揺さぶられ飲み込まれ、混沌そのものとされた311246の「あの時」と比べれば、目に見える光景はたしかに様変わりしつつある。しかし、大震災を何らかのかたちで経験した者の多くは、あの時を思い起こせば、おそらく足がすくみ、胸が締め付けられるに違いない。あれから半年の月日は、長いのか短いのか。まだ悲しみと嘆きの声はやまず、明日のことを思えば、不安と恐れに包まれ、何の展望も開けない人は少なくないだろう。信仰者といえど、まだ整理がつかず、11246の祈りの時ごとに、「なぜ」という問いがまた頭をもたげる。
しかし、その問いを抱えながらも主の御前でこの時を過ごそうと、「911246 この日とこの時間に共に祈りを」と石橋秀雄教団総会議長が呼びかけ、この大船渡教会に、祈り礼拝する人々が集まった。
まず、午後2時46分、記念礼拝に先立って、教団の救援対策本部担当の加藤誠幹事の司会・奨励により「祈りの時」がもたれた。マタイ福音書6章の「思い悩むな。空の鳥、野の花を見なさい」との主イエスのみ言葉を聞きながら、祈りを合わせた。大船渡教会と地区から参加した諸教会の信徒らの祈りと主の祈りによって、主の御前に心が一つにされていった。
祈りの時が終わった頃、湯沢教会で主日礼拝説教の奉仕をした石橋教団議長が駆けつけ、午後3時30分から記念礼拝が始められた。説教は、江刺教会牧師の邑原宗男奥羽教区総会議長。「ただ主の助けが」と題し、イザヤ書49章7~9節からみ言葉を聴いた。「わたしは恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた」と主は言われる。主の「答え」と「助け」はどのように現されたのか。邑原牧師は、まずあの日あの時以降の出来事を振り返る。行方や安否を問い合った。様々なかたちで救援活動に走った。どの教会の信徒も牧師も同様だったかもしれない。人それぞれ、声を掛け合い助け合った。そうした日々を思い起こす。まさにこのような多くの人々の、また私たちの様々な働きを通して、主は答え助けてくださったと、邑原牧師は語った。
一般的にはむしろ、「神は何も答えず、何の助けも与えない」とさえ言われる。しかし私たちは、主の答えと助けを見ることが許されている。「恵みの時」というのは、このような時のことだろうか。
大船渡教会でこの「祈りと礼拝の時」を過ごしたのは、約60名。主に岩手地区の教会の兄弟姉妹だが、ボランティア活動のさ中の人たちや、初めて被災地を訪ねたという人々もいる。様々な思いを持って集まったであろう。まだ痛みの癒えない人もいる。ただ黙々と目の前の現実と取り組むだけの人もいるかもしれない。
村谷正人牧師が、挨拶の言葉の中で、「雪中を歩いたことのある東北の人なら誰でも知っていること」として、「僕の前に道はない。僕の後ろに道は出来る」と高村光太郎を引用した。今日、「祈りと礼拝の時」を過ごした者は、主の答えを聞き主の助けを見ながら、主が与えてくださった道が出来ることを信じて、また今日から前を向いて進もうと思えたのではないだろうか。
911246、もう半年、しかしまだ半年。復興と再建の道は遙かだが、主の答えを聞き主の助けを見ながら前に進もうと、心を新たにされた「恵みの時」だった。
(藤盛勇紀報)