一人の信仰者が生きる貴さ
前任の須崎教会の要請で、今年7月に梼原集会所で講演を行った。須崎教会は、高知県の山村で長く礼拝を行ってきたが、約30年前に事情で隣町の梼原町に会場を移して礼拝を行うことになった。その経過を当時の牧師として話してほしいとの依頼であった。梼原町で礼拝が始まることに至る経緯を通して、教会の歩みは、神の確かな御手によって導かれていることを、お話しさせていただいた。
その場で、約15年前に梼原礼拝で洗礼を受けられた方から、梼原の文芸誌への寄稿を依頼された。数年に一度の寄稿で、今回が3回目となる。この文芸誌は、梼原町の方々に読まれているものである。私も最初に原稿を書く時、どこまでキリスト教に触れてよいかと迷っていた。するとその方から「先生、牧師として思い切り書いてください」と言われた。それならばと、伝道の思いを込めて書かせていただいたことを思い出す。
今回は、梼原で伝道が始まった経過を通し、人間の思いでは終わりと思える所から神の恵みの計画が始まるという趣旨で原稿を整えた。このようにして一般の文芸誌に牧師である私が寄稿できるのは。梼原町で生きる方が洗礼を受けキリスト者となられたからである。このことを通して、一人の信仰者がその地で生活することの意味の大きさを、感じさせられている。
(教団総会書記 黒田若雄)






