ある教会員が89年の地上の歩みを終えて天に召された。彼が受洗したのは80歳のとき。教会にパイプオルガンが導入されたことが、音楽に造詣の深い彼にとってきっかけになった。
妻は結婚の際には既に受洗していたが、彼はこう言ったそうだ。「あなたの信仰は尊重するが、自分は特定の信仰を持たないので強要はしないでほしい」と。しかし彼女は夫が信仰に導かれるよう祈り続けた。その祈りが長い時間を経て実を結んだのだ。
彼の愛唱聖句は「愛は忍耐強い。愛は情け深い…すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える(一コリント13章)」。忍耐強く祈り続けた妻の愛の背後に、深い忍耐をもって自分を呼び続けてくださった主の愛を見出したのだろう。
そんな主と妻の忍耐に応えるかのように、彼は忍耐強く礼拝生活を続けた。高齢となって体調が優れず、足もとがおぼつかない中でも妻に支えられながら、電車を乗り継ぎ1時間以上かけて教会に通い続けた。
使徒ペトロは「主の忍耐強さは救いと考えなさい」と言う。「主の忍耐」に愛と救いを見るならば、我々の神と人に対する向き合い方は自ずと定まるのだろう。






