ルーツを活かした協力関係の中で
富田林教会・初芝教会牧師(兼務)
兼子 洋介
初芝教会の歴史は、大阪長野教会(現在の河内長野教会)の出張伝道から始まりました。「20年史」によると、1948年5月に地域の東初芝会館を借りて子ども会を行ったのが最初の活動でした。「ああ無情」のスライド上映や、紙芝居などを行うと、地域へのチラシ配りをして告知、子ども向けの活動を中心に、伝道開始。1954年には、初芝伝道所設立まで、進展しました。さらに河内長野教会、登美丘教会、また、初芝と同じように、聖書学校の分校のような形で、戦後の伝道が再開されていた富田林教会との、生い立ち上のつながりもあり、この年「河南ミッション委員会」が立ち上げられ、その支援もあって、1956年9月には、教会用地取得、1960年10月会堂建築、献堂式と進み、東初芝会館を会場に行っていた活動を、すべて伝道所の会堂において行うことが可能に。建築の借り入れが残る中、第二室戸台風によって、新築の会堂の屋根が吹き飛ばされ、大阪教区の援助、河南ミッション諸教会の献金によって何とか復旧するなどの困難、試練の時期も過ごしましたが、1964年7月に第二種教会として設立、初芝教会となりました。1969年には、河南ミッションからの貸付もあり、さらなる増築が成り、現在の初芝教会の土地建物の姿がおおよそ出来上がりました(その後改修は行っています)。
その後、時は流れ、筆者(2008年12月より富田林教会牧師)が初芝教会との関わりを持つことになったのが、着任してから1年ほど経った頃でした。河南ミッションは存続していましたが、組織の性格上、地域長老会(プレスビテリ)ほど踏み込んだ性格のものではなく、委員会を名乗るレベルでの活動であったこともあり、各教会の牧師交替なども経て、活動は年に一度の委員会と、研修会程度という状況になりました。振起日大会なども行われなくなり、初芝教会の近況について、深く知ることが乏しくなりました。そのような中、河内長野教会・富田林教会・登美丘教会の長老研修会に、当時初芝教会代務者馬路ひろみ牧師が出席され、会員の減少、前任者の病による休職とその後の混乱という内情を打ち明けられました。そこで一同驚愕したことから、現在への流れが生じることに。兄弟教会の苦境を知ることに鈍かったことを悔い改め、午後礼拝とし、河南ミッションの牧師たちが交替で講壇を担い、礼拝生活から支えることが始まりました。やがて、登美丘教会との兼牧という形となり、午前は登美丘、午後は初芝で礼拝という基本形が定着して、今日に至っています。
2025年度を無牧師で迎えた両教会は、長老教会の伝統を生かすべく、登美丘教会が連合長老会に加盟をしていたため、同じく連合長老会に加盟していた富田林教会牧師を代務者とする形で、歩んでいます。奇しくも、同じルーツを持つ教会同士が、ルーツを活かした協力関係の中、新たなる牧師を迎えての地域伝道に備える時を、与えられています。会員数は10名を切る状況が続いていますが、転入者、来会者も与えられており、「カナン」の地での伝道の網の一翼を担っています。






