「あと1人が加えられるように」
伝道推進室より応援した教会・伝道所
栃尾教会・巻祝福教会牧師(兼務)
野澤 幸宏
巻祝福教会は新潟市西蒲区、旧巻町にあります。矢川という小川のほとり、春には桜並木が美しく咲く土手沿いの信徒宅にて、毎週日曜日の午後3時から、4名の信徒と牧師とで礼拝をささげています。そのような小規模でありながら伝道所ではなく「教会」です。このことにも表れている通り、巻祝福教会は複雑な歩みを辿ってきました。
巻祝福教会は、巻クリスチャンセンターを前身としています。ハーベスト・タイム・ミニストリーズの中川健一牧師を迎えての集会でした。礼拝ではなく祈り会を中心とした交わりで、30名から多い時には50名が集まる集会だったと聞いています。しかし、1997年頃、中川師が集会を去ったことがきっかけで、集会の中心メンバーの自宅で、高砂教会の手束正昭牧師を迎えての礼拝がささげられるようになりました。
この時点ではまだ単立教会でしたが、日本基督教団との関わりがここからはじまり、巻聖泉キリスト教会として歩みだします。当時、月に2回高砂教会から副牧師・伝道師の先生を招いて礼拝がささげられていました。その中のお一人が、後に同じ新潟県の栃尾教会に赴任し、巻祝福教会の代務をも担うことになる手束信吾牧師でした。2003年ごろ、巻祝福教会の専従牧師を高砂教会から送るという話が進み、日本基督教団に加入する動きも併せて進んでいきます。結局この動きは、巻聖泉に残る信徒と、教団への加入を目指すグループと別々の道を歩む結果となりました。このグループが立ち上げたのが巻祝福教会です。週報表紙の「教会創立」はこのタイミングです。信徒宅などで礼拝をささげるようになったのもこの時期です。高砂教会の副牧師であった榊原喜三郎牧師が招聘されました。教団へ加入し、榊原師の牧師就任式が執り行われた2006年9月10日が、週報表紙に「教会設立」として記されています。その後も、榊原師の辞任を経て、手束信吾師の代務13年間に当時の教会の中心となっていた信徒グループ20名ほどが教会観の違いで教会を離れ、現在の規模になります。
このように振り返ってみると、人間的な思いによって、巻祝福教会の歩みは困難な状況に直面してきました。しかし、残された者の素朴かつひたむきな信仰によって、現在も教会は歩み続けています。規模が大きいことばかりがよいことではないと実感します。少人数によるフットワークの軽さや意思決定の早さなど利点も多くあります。何より密な交わりが可能です。それは単に気が合うとかそのレベルのことではありません。信仰に基づく愛による交わりです。しかしこの人数では少し寂しいのも本音、教会は宣教をしなければなりません。数年前から、具体的に「この礼拝にあと1人が加えられるように」との祈りの課題を掲げ続けています。現在の巻祝福教会は、その名に違わず祝福されています。






