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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【5037号】メッセージ 柔和な人々は地を受け継ぐ(1面)

2025年9月27日

柔和な人々は地を受け継ぐ

柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。
マタイによる福音書 5章5節

伊東教会牧師
上田 彰

 

「もう一つの生き方」

 聖書には、私たちの常識を静かに揺さぶる言葉があります。主イエスが語られた祝福もその一つです。「柔和な人々は幸いである」に続き、「彼らが地を受け継ぐ」と語ります。「地を受け継ぐ」とは、聖書の言葉遣いによれば、その人の子孫や志を継ぐ者が絶えることなく、その存在が確かに継承されていく、という意味合いです。「力ある者」が地を受け継ぎ、「知恵ある者」が世を動かしている−そんな常識を持つ私たちに、主イエスは宣言されます。二心なくへりくだって主を信頼する、愚直なまでに真正直で「柔和な者」が地を受け継ぐ、と。
 ここにある不思議さを受け止めるために、ヴィクトル・ユゴーの不朽の名作、『ノートルダム・ド・パリ』に登場する鐘突き男、「クアジモド」を思い出してみます。
 社会からは異形の者として疎外されていた捨て子の彼に居場所を与えたのは、パリの中心にそびえるノートルダム大聖堂でした。彼はやがて、鐘突きの仕事に従事します。教会の塔にこもり、日に何度も鐘を鳴らすのです。パリの人々に祈りの時を告げる、聖なる響きの担い手となりました。
 十分な学はなく、人から愛された経験もなかった彼は、ただ一心に鐘を突くことだけに没頭します。彼の名前「クアジモド」は、「もう一つの生き方」とも訳せます。この世の価値観とは全く別の次元で、彼は神に仕える生涯を送っていたのです。
 あるとき彼は、純真な一人の踊り子に、初めての純粋な愛情を抱きます。そして彼女が無実の罪を着せられ、教会の前で処刑されそうになったとき、クアジモドは塔から駆け下り、彼女を群衆の中からさらい、大聖堂の中へと逃げ込みます。
 追う兵士たちに向かって、司祭が中から叫びます。「ここは聖なる場所であるぞ」。武器を持って教会に押し入ろうとする権力を押し留めたのは、この一声でした。聖なる権威によって守られるのが教会という場所であり、社会の論理はそのまま通用しない、という宣言です。単に祈る場所を提供するというのではなく、社会的不正義の犠牲者を守る避難所、あるいはこの世に居場所のない者を受け入れ、聖なる役割を与える場所を生み出す声です。これは神の招きの宣言でもあると思います。
 柔和な生き方では世間をうまく渡ることはできないかもしれません。しかし、二心のない生き方は、「地を受け継ぐ」志を呼び起こします。ユゴーは、人心を大聖堂に再度向かわせるためにこの小説を執筆したといわれています。二百年後の大火からの復旧という出来事には、歴史的伏線があるのです。

 

「聖なる場所」であり続けるため

 最近、私が仕えている教会で、これまでの葬儀説教をまとめた小さな本を公にする機会が与えられました。ひとりひとりの故人を、クアジモドのようにして描く、つまり一般の歴史にも名を残す華々しい人物としてではなく、私たち信仰者が印象に刻むべき証しを残してくれた先輩として描く、そんな試みの積み重ねです。たとえ、いわゆる信仰的優等生でない故人であっても、残された者が信仰者として故人が人生をかけてなした証しに耳を傾け、受け止めることができる、と語る−これが葬儀司式者の務めです。世の価値観に流されず、時に不器用なまでに神様を信じ抜いた「柔和な人々」の姿を、思い起こします。
 信仰の先達の生き様。これこそ、教会の見えない土台となり、私たちが受け継いでいる「地」そのものです。「ここは聖なる場所であるぞ」という声を、神の選びの声として受け止め、その生涯をもって応答した人々の物語が、どんな教会にもあるのです。
 「ここは聖なる場所であるぞ」という声によってせき止めねばならないものは、今日にも存在します。物理的な武器によらなくても、別の何かが既に社会を支配しており、そしてその勢いで教会をも支配しようとしています。効率主義や成果主義、あるいは世俗的な評価を教会の中に持ち込むことは、「柔和さ」のこわばりにつながります。
 かつて中世の教会では、会議に貴族の身分を持つ者が加わっていると、腰に帯びた武器は外してもらうことになっていました。何かの権威を笠に着て発言がなされるのを避けるためです。教会の交わりや会議において、現代の私たちが解除すべき「武器」とは何でしょうか。他者を論破しようとする自己主張や、世の成功体験に基づいた効率論を私たちが戒め、教会が「聖なる場所」であり続けるための努力が必要です。未熟だからといって信仰の声を押しつぶすことなく、またささやくような祈りの言葉を重んじる。教会を建てあげる、今はまだか細い論理をお互いから聞き取り合う、そんな交わりを保ち続ける必要があるのです。そして、鐘突きという、伝説を生み出した職業が教会において尊敬されてきたように、世の物差しでは測れない柔和な人々の奉仕や存在が尊ばれる価値観を、私たちが持ち続けられるかどうかにかかっています。
 教会を守るものは、突き詰めていけば結局、柔和なお方そのものだからです。

 

神の選びと祝福によって

 教会が前進する力は、世渡りの知恵や巧みな戦略によるのではありません。「柔和な者が地を受け継ぐ」という主の約束は、神の選びと祝福によってのみ実現するのです。この事実に立つことなしに、私たちは一歩も前に進むことはできません。愚直なまでに柔和な生き方を、神ご自身が祝福してくださる。このことを信じることで、教会は神様の力によって前進します。
 「ここは聖なる場所である」という声は、私たちを奮い立たせる声高な叫びにはならないかもしれません。しかし、それは静かに、そして確かに、私たちの心に響いてきます。その声を心に留めて、信仰の先達の姿から柔和な人々の志を見出し受け継いでいくとき、私たちもまた「地を受け継ぐ」群れに加えられるのです。
 柔和な人々は、確かに幸いです。

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