テニスを通して人と
紀 定子さん
紀定子さんは、小・中学生、高校生などにテニスを教えている。
ただ紀さんの思いに従って正確に言うならば、教えているのは挨拶の仕方であり、ラケットの持ち方であり、球拾いの仕方であり、個々の技術や心構えなのだ。自分が教えられるのは、それらの一つ一つでしかない。それらを総合して、「テニス」というものと向き合うことを教えているという。
この話がある会合で紹介されたとき、「説教も同じではないか」という声があがった。普段の牧会があり、釈義の仕方があり、日本語を整えることがあり、聴衆とのコミュニケーションがあり、それぞれの領域で多少の技術的なノウハウがあって、そのコツをつかむこともできよう。しかし、それらを総合してこそ「説教」になるのだ。安易に「これこれこうしたら説教がうまくなる」といったような道はないのだろう、となった。
上記の会合とは静岡説教塾だが、紀さんの教会を会場に例会があるときに、CS教師をしている紀さんも参加している。例会は目下、オンラインと対面とで交互に開催されている。対面の際には午前と午後に分かれて、読書会による学びと、参加者が実際にした説教を批判し、よりよい説教にすべく研鑽している。
その際の昼食を提供することを、紀さんは申し出た。
コロナ禍以降、教会では愛餐の機会はめっきり減った。だが、そろそろ回復の時期でもあろう。紀さんの二人の息子は既に独立して家を出ており、ご夫君には先立たれた。普段の食事の用意では、紀さん自身の一人分しか作れない。10人分前後の食事を用意することは、本当に喜びであり楽しみなのだそうだ。
テニスを通して人と、食事を通して神さまとも向かい合えることを感じている。